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本日の仙台地方の空模様は小雨後、薄曇であった。当初は息子とゴルフのショートコースでも行こうと考えたが、ゴルフ場のコンディションがいまいちなので、私は発想を改めアート鑑賞に路線を切り替えた。午前中に息子を伴って訪れたのは塩釜市(塩竈市)の杉村惇美術館である。尚、現在の建物は昭和25年に建造した旧公民館本町文庁を改装したものである。



建物は高台に建っているので市街地の一部を見渡すことが出来る。ほぼ正面が塩竈神社や旧亀井邸(大正ロマン建築)のある方角である。



Google航空写真で杉村美術館の位置を確認して頂きたい。(赤○のところ)
住所:宮城県塩竈市本町8番1号電話022-362-2555



玄関内部にはシャンデリア風の照明器具も設置され、シックな雰囲気の内装意匠とともに大正ロマンを漂わせる風情となっている。



講堂を改装した二階が展示室となっている。
※室内は撮影禁止ゆえ紹介する画像はインターネットから引用した。



杉村惇(1907~2001)

明治40年(1907)、東京市牛込区(現新宿区)に54女の末子として生まれ。戦後の昭和2139年頃に塩竈で暮らし、塩竈の風景や鮮魚を題材に、数多くの油彩画を描く。静物画を得意とし、「静物学者」の名で親しまれ。昭和2年(1927)、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科に入学。岡田三郎助(帝国美術院会員・第1回文化勲章受章)に学。在学中の昭和5年(1930)、静物画≪パン≫で第11回帝展(帝国美術院展覧会)に初入選するなど、その才能は早くから高く評価され

 昭和20年(1945)、戦災により自宅・アトリエ、作品のほとんどを失い、東京から仙台に疎開後の翌年、夫人の縁故により塩竈に転居する当初は築港魚市場の向かいに居を構えていたこともあり、活気ある港町・塩竈は杉村画伯に多くの影響をもたらした。昭和40年(1965)、東北大学や宮城教育大学で教鞭をとる利便性などから、塩竈から仙台へ転居。

昭和45年(1970)には日展審査員、その後は評議員も務めたほか、様々な美術団体の運営に参加、結成に尽力するなど芸術文化の振興に大きく貢献する。物の〈存在と空間〉を追求し続け、作品への熱意は80歳を越えても絶やすことはなかった。平成13年(2001)、93歳で逝去。

※焼いた魚(昭和37年)インターネットから引用

※錆びた西洋鋸(昭和54年)インターネットから引用


横町挨拶
私は油絵のことに詳しくございませんが、杉村画伯の得意とする静物画には人の心を穏やかにするものが潜んでいるように見受けられました。画伯の言葉に「命を削って描かないといい絵は描けない」というものがございます。画伯の笑顔に接しますと温厚そのもので、そのような険しさは微塵も感じませんが、秀でた芸術家は、多かれ少なかれこうした姿勢があるものと認識しております。彼の静物画をよく見ますと集中度が違います。正に命を削って描いた絵であることは素人の私にも何となく伝わって参ります。息子とはそんな会話をしながら、数十点に渡る作品を鑑賞して参りました。また、作品に対して真剣に見入る息子には画伯の意図するものが伝わったようです。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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