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論文「或るパワハラ問題と労働者側の対策」
九州の或る個別指導塾の専務が就職内定者(新卒)への面接で発した言動が問題になっている。内定者はこの言動が元で入社を断り、その後に両者の間で和解は成立したということだが、私としては、今朝テレビを見ていて羽鳥慎一モーニングショーの取材に応じた当事者の専務に反省の色が見られなかったので、ペンを執った。尚、同社の社長は今後は専務を指導して行くと述べたので反省の言葉は一応あったと受け止めている。同個別指導塾の就職内定者が、携帯電話と見られる録音アイテムを用いて録音した音声には驚くばかりの暴言が収録されていた。以前からその内定者の受け答えに好感を抱いてなかった専務は、気合を入れるという名目で、「殺すぞ!貴様、こらあ!」と罵声を浴びせていたのである。専務は以前から内定者の横柄な言動が気になっていたとしているが、モーニングショーの出演者からは、指導の領域を通り越した恫喝的な暴言に批判の声が集中していた。


個人の自由と権利を尊ぶ欧米的な価値観とは異なり、我が国には公の中で個人の在り方を問うという独自の倫理観がある。お国のために命を捧げる…昔の軍隊などはこうした観念を持つことを兵隊一人一人に強要していたわけだが、その元をたどれば武家社会社会の主君と家臣との関係にも似ている。武士道が死語になりつつある現代にも、悪い意味でその片鱗が残っていると私は見ている。ところで、今回この個別指導塾が起こしたパワハラ問題(和解が成立しているので敢えて事件とは言わない)はほんの氷山の一角と言っていいのかもしれない。社員に圧力を掛けて権力をちらつかせて、黙らせて服従させる強権的な姿勢を持つ企業は世に掃いて捨てるほど存在する。


組織の中でも特に人事権を握っている者がその刃を無法に振り回すと始末が悪い。恣意的(必然性も論理性もない、極めて自分勝手な采配)な人事は多くの企業で鉄のカーテンの中で行われ、表面的には恣意性などないように見せかけて人事権が施行される。これは極めて厄介なことであり、上司に媚びて気に入られようとする社員を作り出す格好の温床となっている。或る統計に依ると我が国のサラリーマンにおける出世組と現状維持組及び脱落組の比率はおおよそ2対8であるという。


我が国には「宮仕え」なる言葉が存在するが、外来語のビジネスと比べると、その示すニュアンスは全く異なる印象がある。即ち、宮仕えでは己の魂を売ることで組織に残れるというイメージがつきまとうのである。では、勝ち組になった少数の者にはいい処遇が与えられ、負け組となった者は歯を食いしばって宮仕えに耐えるしかないのか?このへんについて自分の歩んできた経験を基に、具体的な対策を述べてみたい。


私は五十を目の前にして転勤をきっかけにして鬱病を患い、サラリーマンとして出世を逃した。そうした中で常にリストラの危機感を意識しながら生き残ってきた。但し、例え生き残ったにしても生きる屍としてでは意味がない。鬱病克服後には職位復活も果たし、組織に流されない生き方をずっと貫いてきた。それには次のようなマネージメントがあった。


1、パワハラの定義をよく理解する
厚生労働省のホームページを御覧頂きたい。パワハラの定義は何も人格否定や危害を加えることでない。その定義には「仕事を与えないこと」や「能力に満たない仕事を与える」ことも含まれる。こうしたことでその社員のやる気を奪い、自己退職に導くのはブラック企業の常套手段である。この定義を知っていれば、仮にこうした処遇を受けた際に、会社側に正論として申し立てることが可能となる。企業に労働組合やユニオン(共同労働組合)があれば、もちろんこうした組織にまで自分の置かれた状況を知らせることが絶対条件である。

仮に労働組合はユニオンが思う通りに動いてくれないなら、労働省の機関である労働局、県の労働委員会、弁護士会へ相談する方法がある。パワハラの中には「仕事を全く与えないことや、能力に満たない仕事を与えること」(厚生労働省の見解)も謳われている。言葉を変えれば「飼い殺し」というものになる。表面的に良く見える「飼い殺し」だが、実はこれが一番始末が悪い。一部の企業はにこうして辞めさせたい社員を精神的に追い込み、自分から辞表を出してくれるのを望んでいるのである。これを阻止するには厚生労働省の定めるパワハラの定義を熟知する必要がある。

ところで、社員の能力を評価する上では、多くの場合上司らの恣意性の影響を受けやすいが、受け難い性質のものもある。それはライセンスである。せっかくライセンスを持っているのに、それを必要としない部署に所属を変えること自体、「能力に満たない仕事を与える」ことに繋がる疑いがあるからだ。従って、仕事に必要なライセンスは取っておく。そして、もし会社からこうした処遇(能力に満たない仕事を与えること)を受けた場合は、こういう予備知識がものを言うことになる。


2、自社の就業規則の把握と労働関係法令への精通
就業規則を必要以上に恐る必要はない。何故なら就業規則は単なる私法であり、憲法や労働関係の法令(労働基準法、労働安全衛生法)を超えるものでないからである。就業規則の中にこれら公の法令に反しているものがあれば、単なる会社側の一方的な都合で設けた規則に過ぎず、労働省の機関などに訴え出た際は是正命令の対象となるからである。その為には自社の就業規則が関係法令に照らし合わせて、合法なのか違法なのなかを、よく把握する必要がある。もしそうした知識がないなら、事前に情報を得ておくことが肝心である。


その相談については最寄りの労働基準監督署が応じてくれる。監督署に足を運ぶ前に、今までの経緯などを事前に箇条書きにして要点をまとめてから臨みたい。仮に、監督署の対応が不十分と感じたなら弁護士による無料法律相談(30分間)を受けることも可能である。もちろん企業内に労働組合があるならば、就業規則が合法なのか、違法なのか、はたまたグレーゾーンなのか、そのあたりの見極めは自社の組合やユニオンなどと密接な関係を構築しながら二人三脚態勢で進めてゆくべきである。個人対組織ではとても歯が立たないが、組織や社会(世論)の強力な後ろ盾を得ることで、労働者側に分が出て来るものである。

3、多くの人が共有できるような正しい倫理観を持つ
一度組織を敵に回すと、上司の盾(カバー)など一切期待出来なくなる。となれば、常にその言動は人道から外れてないことが強く求めらる。そ為には、コンプライアンス厳守は基より、正しい倫理観を持つことが不可欠である。我が国における倫理観の主幹は概ね儒教思想にあると言っていい。従って四書五経などの修得は無理でも、その概要くらいは知っておく必要がある。これを身につけることで、世の多くの人間が持つ倫理観を持つことが可能となる。


儒教の精神の礎になるのが五常(仁、義、礼、智、信)である。即ち、仁は思いやり、義は普遍的正義、礼は習俗を尊重する姿勢、智は正しい判断力、信は発言と実行の一致である。人に己の意見を言う前に、先ずは自分の襟を正さねばならない。従って、五常を履行することでようやくその基盤が整うと考えるべきである。但し、五常に満足することなく、人として目指すべき更に上の領域の五徳(温・良・恭・倹・譲)も視野に入れ日々の精進に励むべきである。もし、あなたにこうした裁量が加われば鬼に金棒。自ずと論語で言う「徳は孤ならず、必ず隣有り」(有隣)の関係が構築されることだろう。


ところで、禅の教えに「竹の節に上下はあるが優位性は存在しない」というのがある。即ち、組織である以上は上下関係がなければ成り立たない。但し、ここに於ける上下関係は指示命令系統に於ける秩序を差すものであって、優劣(尊卑の絶対)を指しているのではない。これを取り違えると、上役に対して萎縮してしまい、思ったことが言えなくなる。


例を挙げるならば封建時代の殿様の座る場所が家臣の座るところよりも一段高い位置(上座)にあったのを思い浮かべてもらいたい。己の心の中で上役を上座に位置づけることで、無意識の中で自己暗示を掛けてしまい、言いたいことも言えなくなってしまうのである。これを回避するのであれば、上役を役付け(部長、課長…)で呼ぶのでなくさんづけで呼ぶなど、あくまで人間としては対等であるという意識を強く持つ(気合負けしない)ことが肝要である。


これは呼び名のみでなく社内のメールにも応用できる。例を挙げれば、上司を相手に申し立てや下克上に及ぶならば、役職などは最初から外し、貴職と呼ぶ。これで人間として対等であるのを相手に知らしめる効果がある。また貴殿という言葉も非常に微妙な二人称である。面と向かって上司にあなたとは言いにくいが、上司から呼ばれる二人称は敢えてあなたと呼ばせず、さんづけで呼んでもらう。これは非常に重要な自己アピールである。そして自分も上司を普段はさんづけで呼び、かしこまった文面では貴職や貴殿と書く。なかなかやり難いことかも知れないが、これもテクニック(竹の節に上下はあれど、優位性は存在しないを上司に知らしめる)の一つである。

4、自他の冷静な状況分析と時期の見極め
「戦わずして勝つ」、「彼を知り、己を心から知らば百戦危うからず。」これは孫子の兵法に出てくる有名な言葉である。この言葉の持つ意味は極めて深いものであり、長きに渡って人類の戦略(勝利への方程式)として活用されているものである。ほとんどの場合、相手がたの力量は甘く評価され、自分の力量は過大に評価される傾向にある。それに警鐘を鳴らすのがこの言葉である。相手方(企業側)の真の狙いがどこにあるのか、当該社員の姿勢を正させ奮起を促すものなのか、或は、肉体的にも精神的にも疲弊させ、潰して辞めさせるのが目的なのかを正しく把握し、己が取るべき対抗策を講じることが肝要である。


また兵法には「出るべきところは出て、控えるべきところは待つ」という意味の言葉もある。即ち、己に利があ非がないから打って出ることができるのである。もし利がなければ引いて模様を見ながら力を温存するべきである。これが案外難しい。攻めるよりも引いて守ることのほうがずっと難しく辛抱を要するのである。武術において返し技というものがあるが、返し技を狙うには敵が拙攻に出た一瞬の隙を見計らって技を掛ける必要がある。

有体に言えば、ここで言う拙攻とは相手が暴言を吐いたり、法に沿わないことを求めてきた時のことである。もし会社側で暴言を吐く者があれば、これをすかさず録音する。間違ってもその場ではやり合わないことだ。その場でやり合えば理性を失い、下手をすれば喧嘩両成敗になりかねないからだ。従って待ちに入った際は、相手から尻尾を出すまで待つことも必要となる。その為には、盲目となり、猪突猛進に至らぬよう、常に自己客観視を怠らないように心がけることである。自己客観視の礎になるの正しい倫理観によって培われた揺るがぬ自己信念である。一人の労働者が会社などの組織を相手にしようとするならば、味方の在る無しに関わらず、これくらいの知識と裁量は身につけておきたい。
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筆者挨拶
本日はパワハラ対策をいろいろと述べましたが、このような立ち振る舞いなど必要としない会社に所属するに越したことはございません。但し、そういう企業などはどちらかというと少数派なのかも知れません。本日ここに書いたことはけして机上の理論ではございません。汗まみれ、泥まみれとなって現役時代に経験してきたことです。だから私は、あなたがこうしたことでお困りならば少しも怯むことはないと明言したいのです。

そこのあなた、先ずは勇気を持ってお進みください。あなたに非がなければ、パワハラなどは恐れるに足らないことです。但し戦うなら中途半端は禁物、中途半端な対応ではまず潰されます。もし、あなたに戦う覚悟が出来たなら、明日からは胸を張って堂々と会社に出勤することです。どちらがまともでないのか出るところに出れば必ずわかります。これを固く信じることです。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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