fc2ブログ
本日は大型免許取得のため、山形で合宿教習を受けた際立ち寄った歴史スポットを紹介したい。ここは羽州街道の東根市六田地区である。ここを真っ直ぐ行くと隣町の天童、方角的には北側である。

おくのほそ道で芭蕉がたどったルートをご覧願いたい。黄色が六田である。尾花沢と立石寺(山寺)を往復したことになる。目的地は立石寺であり六田は単なる旅の途中の通過点だったのかも知れない。

山形県東根市六田地区を航空写真で確認して頂きたい。赤が松尾芭蕉の銅像のあるところである。この銅像沿いに南北に走る通りが羽州街道である。

羽州街道から脇道に入ったところに関山古道がある。ここも芭蕉が通ったようだが、詳細は不明である。

羽州街道沿いにはこのような指標が立っている。

芭蕉が歩いたころのみちのくの代表的な道が奥州街道(赤)と羽州街道(青)である。
※黄色が六田である。

今度は南側を望んでみた。ここを真っ直ぐ行くと村山を経て尾花沢に至る。

広い交差点の辻に芭蕉の銅像が立っている。柔和な表情が印象に残った。

六田宿楯岡から徒歩の旅となった芭蕉は、一里の道のりを歩き六田宿に差し掛かった。曽良の随行日記に「一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。」(当日の条)、「六田ニテ、又内藏ニ逢。立寄ば持賞ス。」(翌日の条)とあり、芭蕉一行はこの六田宿で、「内藏」なる人物に2度逢っている。内藏は、自宅に立ち寄った芭蕉を持て成したことから、尾花沢逗留中に芭蕉と面識を得、宗匠芭蕉であることを承知していた人物ということになるが、詳細は不明である。芭蕉は満開の紅花畑で見かけた若い娘に心ひかれて「行く末は誰が肌ふれむ紅の花」という句を詠んでいる。

ミック挨拶
「閑さや岩にしみ入蝉の声」という句の存在もあり、芭蕉が山寺に足を運んだのは有名ですが、途中の六田でも足跡を残していたとは知りませんでした。この地区の名産としてサクランボとともに紅花が挙げられますが、それを歌に取り入れての俳句には大変感心しました。改めて、風流人・芭蕉の人となりを感じた気が致します。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)