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昨日かねてから気になっていた林崎居合神社に行ってきた。本日はこの神社と居合流に因み居合明神となり、武士の神、剣の神となった林崎甚助重信についてお伝えしたい。毎年4月29日に行われる例祭では、全国の剣士が振武館という道場で居合を奉納するとのことで私は神社に向かう前に目と鼻の先にある振武館に向かった。この中で居合がが行われるようだ。私はこの駐車場に車を止めて隣接する林崎居合神社に向かった。

Google航空写真で林崎居合神社の位置を確認して頂きたい。

神社のそばにはこのような数々の石碑が立っている。

逆光で彫られている文字が見難くいが「心剣」と描かれている。詳しくはわからないが剣術の極意は「心剣」という意味だろうか?

朱色の鳥居が印象的である。林崎居合神社以下、財団法人居合振武会ホームページより引用
林崎居合神社由緒と沿革
本社略縁起に依れば、大同二年(807年)林崎地区の東方石城嶽の大明神沢の岩窟に熊野権現が祀られ、後旧荒宿村に降神、熊野堂として石祠に祀られた。

熊野権現は永承年中(1046年)から正安二年(1300年)の間に当地に遷座され、歴史変遷と共に尊号を「熊野明神」と改め、地元民に祖神として崇敬信仰された(祖神・熊野神社の草創)

天文年間に抜刀(居合道)の祖・林崎甚助源重信公が祖神「熊野明神」に祈願参籠し修行に励み、祖神「熊野明神」より「神妙秘術の純粋抜刀」の奥旨を神授され、京にて見事父の仇を討ち本懐を遂げた。直ちに帰郷、祖神「熊野明神」に礼参報告し信國の刀を奉納す。爾来、重信は純粋抜刀を「林崎流」と号した。

永禄五年(1562年)重信、母、菅野に孝養を尽くせども、母病にて死す。重信、飄然、孤剣を抱いて二首の歌を残し旅に赴く。

廻国修行に伴い、各地で門弟を育成し「純粋抜刀」を拡め、抜刀(居合道)の基礎を確立した。 尚、重信の最晩年の足跡、没年、没地については、諸説はあれど史実に即した資料はなく、解明調査の限りを尽くせども未だ判明せず。 

後世、その英霊を思慕し、崇めて重信公を神格化「居合明神」として祖神「熊野明神」の境内の一角に祀った(居合神社の草創)

明治の神仏判然令に伴い、祖神「熊野神社」に「居合神社」を合祀し、明治十年(1877年)明治政府に公認され「熊野・居合両神社」の正式神社名となり今日に至る(神社庁登記神社名)

林崎居合神社は、武士の神、剣の神となった林崎甚助重信を祀るに相応しい趣を感じる神社である。

林崎甚助重信の墓地は不詳である。従ってこれは墓標と思われる。

林崎甚助重信像

最後に拡大航空写真で林崎居合神社の位置を確認して頂きたい。

ミック挨拶
武士の神、剣の神となった林崎甚助重信がこの神社に祀られているのを知り大変驚きました。同時に、ここは羽州街道から数十メートル入ったところで、この旧道界隈が古くから拓かれているのを感じました。後数日の村山地区滞在でどれだけ回れるのかわかりませんが、この羽州街道沿いの他の史跡にも足を運んでみたいと思います。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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