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私は羽州街道(県道120号線)を通って教習所に通っている。その途中に間口が70メートル以上もある非常に大きな屋敷がある。場所は村山市林崎地区である。ここは残念ながら、司馬遼太郎が「街道をゆく」の「羽州街道」の取材では通らなかった場所である。1976年の秋の彼は同伴者の須田画伯らを伴って、山形空港から立石寺(山寺)に向かったのである。

Google航空写真(広域版)で村山市林崎地区の位置を確認して頂きたい。

これは北側の折り返しの部分である。木塀や庭の構えを一見すると武家屋敷風であるが、元大倉村の村長を務めたかたの屋敷(近隣の聞きこみから)とのことである。

大正10年に描かれた旧大倉村(現村山市)の地図を参照して頂きたい。林崎の村長宅は赤の部分である。

羽州街道側に面した東側に門が設けられている。

Google航空写真でこの屋敷を真上からご覧頂きたい。

主屋はなんと木造三階建てのようである。

庭はこの通りで非常に多岐に渡る草木が存在している。

今度は羽州街道の南側から眺めてみた。それにしてもすごい存在感である。

ミック挨拶
自動車学校に通い出してから、毎日通るこの屋敷の存在が気になっていました。当日下調べ不足により、すぐ西隣の林崎居合神社に行かなかったのを後悔しています;実は林崎居合神社は、またの名を林崎明神といい、林崎甚助重信(1542~1621)という武士が、父の敵討ちのために、この社に祈願して剣術を磨き仇討ちを果たし、ついには林崎夢想流と号する抜刀術を会得、居合流の始祖となったとされます。彼はその後、居合流に因み居合明神となり、武士の神、剣の神となりました。この元大倉村村長の屋敷は居合神社と隣接しています。林崎居合神社に関しては近いうちに訪問し、趣などをお伝えしたいと考えております。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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