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 2015相馬野馬追最終日・小高神社野馬懸 
リンク曲「相馬流山」解説byミック
本日、相馬に最も相応しいリンク曲を考えたが、この相馬流山をおいては考え付かなかった。「流山」は相馬中村藩祖の故郷である下総の国「流山」(今の千葉県流山市)の地名にあやかったものである。この歌は1323年、奥州相馬家六代藩主・相馬重胤が従三十余人を率い、住み慣れた総を後に、奥州相馬地方に下向した際、口ずさんだものとも言われる。


「相馬流山」の起源とも言われる相馬重胤公が家臣とともに陸奥行方(現福島県浜通り地方小高地区)に下向してきたのは、それまでの居住地であった下総での勢力争いの末。居づらくなったとも、或いは源頼朝から賜った遠方の地である此の地が家臣の謀反や他からの侵略で奪われそうな懸念があったからとされる。


一方でこの歌は土地の酒造りの時にも歌われたり、鎌倉武士の間に親しまれたとも言われる。元々はの間に歌われたもので、相馬野馬追には出陣式時に歌われ、曲も歌詞も極めて格調高く、「東奥の君子国」(民俗学者の故岩崎敏夫氏の命名)と称される相馬中村藩の名誉を讃え、歌詞には野馬追の景観を含んだものが多く見られるのが特徴である。


   ※秋元由美子氏による相馬重胤肖像

以下コトバンクより引用後ミックが編集
相馬重胤(不明~1336)
陸奥相馬家6当主1323年(元亨3下総相馬郡(千葉県茨城県)から陸奥行方郡(福島県浜通り)に移り、後に小高城を築き、奥州相馬氏の祖となる。後醍醐天皇の討幕軍に加わり所領を安堵される。以後足利方に属し、1336年(延元2年12月25日)鎌倉で北畠顕家の軍に敗れ家臣十数名とともに自害した。通称は孫五郎。
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随筆「相馬での思い出」
2015年4月初めに私は転勤で相馬に赴任した。相馬はれっきとした市であるが、勤務地のある場所はアパートを借りた亘理町以上にローカルな場所だった。JR代行バスを降りて、職場に向かうにはJR相馬駅で常磐線に乗り換える必要があった。

相馬駅を発車した列車は、しばらくするとイグネ(屋敷林)の点在する田園地帯に差し掛かった。90キロくらいは出ている印象でかなりのスピードである。乗客は地元の高校生が七割といったところである。シュシュシュシュ シュシュシュシュ…列車はまるでSLのような音を立てた。遠くには阿武隈山地が峰々を重ねる。相馬市郊外での車窓からの眺めは実に雄大である。

※常磐線の車窓からの眺め(ミック撮影)


私は毎日このようなロケーションに接し、癒されながら職場に向かった。また、ある日の帰宅時には駅付近の民家から、相馬流山の尺八の音色が流れていたのもはっきりと記憶している。一方では休日を利用し史跡も相当歩いた。中村城址、黒木城址、小高城址、新地城址、鬼越館跡、相馬家菩提寺の同慶寺なども訪れた。

※相馬の本城の小高城址に建つ小高神社(ミック撮影)

またこの年の9月末には、かねてからの祈願だった相馬郷土研究会に初めて参加し、その後も数回に渡って出席し新たな人脈を構築できた。この研究会では、ブロ友様の暇人ITYさんと二度ほどお会いできたのも見逃せないことである。

相馬中村藩の大きな遺産とも言える国指定重要無形文化財の相馬野馬追には2014年から3年に渡って見学できた。相馬野馬追は平将門に端を発する相馬の軍事訓練である。これを見ずして東奥の君子国と言われる相馬のことは語れない。とにかく相馬武士道を色濃く感じる夏の日の熱い祭りである。尚、今年の相馬野馬追は7月28日(土)、29日(日)、30日(月)の三日間に渡って開催される予定である。

※2017年7月23日、中村神社からの出陣式を追えた総大将・相馬陽胤公(ミック撮影)

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ミック挨拶
私は今でも相馬郷土研究会に所属しています。伊達は自分のルーツが世話になった藩で、相馬は伊達と敵対した大名でした。そんな私ですが相馬にも、大変愛着を持っています。それはライバルとして不足ないものがあるからです。戦国大名の多くは生き延びるために大国の麾下に属するものですが、1589年に隣国の大藩である伊達に攻められた際に、相馬の取った選択は徹底抗戦でした。

この時彼らは、討ち死に覚悟で本城の小高城に陣を構え伊達を迎え撃つ覚悟でした。その時豊臣秀吉の北条征伐の命令が下り、この勝負はお預けになり、相馬は所領を安堵されたのです。現代にもその熱き志を垣間見る東奥の君子国・相馬での思い出は数え尽くせないものがございますが、城跡や合戦場のみでなく、文豪志賀直哉の祖父の相馬藩士・志賀直道の住居跡を訪ねたことも印象に残っています。その様子は随筆「志賀直道への想い」に綴っています。

明治21年安藤仲太郎画「志賀直道肖像」(志賀直哉長男志賀直吉氏所蔵)


ところで相馬と言えば何と言っても野馬追が有名です。私は相馬野馬追には大変誇り高いものを感じますが、彼らの誇りには隣国の伊達にけして屈しなかったという意地のようなものを強く感じます。そう考えると野馬追が崇高なものに見えてくるのです。私は今年も機会がありましたら、相馬野馬追に足を運びたいと考えています。

野馬追では中村神社の総大将出陣と南相馬市鹿島区の副大将出陣、総大将お出迎えが目当てです。何と言っても、出陣者が武者に成り切るところに圧倒的な迫力を感じます。この興奮を一度味わってしまうと病みつきになる。それがこの祭りの特異性と受け止めております。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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