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昨日、私は所用があって郷里の石巻に向かった。用が済んだのは16時半くらい。仙台に戻ると遅くなるので宿泊することにした。ここは石巻の名前の由来となった巻石のある住吉公園である。



私は生家から程近いビジネスホテルに宿泊することにした。私が宿泊したのはこの緑色の建物の2階の部屋である。特段豪華という印象はないが、小奇麗なホテルで、三つの窓からは全てこの丘をが見え、瞑想にふけるには相応しい部屋であった。



私が生まれた町は、昭和40年頃に千石町(石巻に繁栄をもたらした千石船から取った町名)と町名変更されたが、私の生まれた時の町名は横町(目抜き通りの立町に直交する通りゆえ名づけられた)であった。チェックインして散歩に出て「横街ビル」というビル名を見た瞬間、私の脳裏にはかつての横町に対する限りない哀愁が横切った。否、出来れば往時の横町に戻りたいという気持ちさえ起きてきたのである。



ここが生家の近くの今の風情である。震災の被害もあって閑散としているが、かつては船乗りの歓楽街として賑わった場所である。多くの港町を見渡せば、港と酒場は切っても切れない縁にある。私が生まれ育った横町もそんな町だった。菓子店を営んでいた生家には、水商売関係の客やホステスさんも多く出入りしていたと母から聞かされたことがあった。

私のほのかな記憶の中には、営業中の酒場(バーと思われる)に、母が幼い私を連れて届け物をしたというものもある。今では影も形のないその酒場であるが、凡その位置を、私は今でも記憶しているのである。

私がもの心ついた時、祖父は毎晩のように晩酌をしていた。威厳と優しさの同居した人物、私はそんな祖父を見るのが大好きであった。確か祖父は煙管を吸っていた。祖父の居ないときにいたずらして、煙のついてない煙管を吸い、匂いをかいだ記憶も自分の中に残っている。

※五十数年前の祖父と私


祖父の晩酌は家族が寝静まった後からも延々と続けられたように見えたが、幼い私はいつも八時には床についていたので、これはあくまでも自分の中の想像である。私は祖父が晩酌している際に決まって行う儀式があった。それは祖父が寛いで晩酌出来るように、木製の踏み台などを持ってきて祖父の肘掛をこしらえてやることだった。

私は祖父に褒められようと得意満面で、その仕掛けを作るのが日課であった。但し、翌朝になって祖父の座椅子のあたりを見ると、不思議になにもなかったように片付けられているのであった。祖父にとっては迷惑この上ないこの行為も、今にしてみれば、孫への愛情表現(目に入れても痛くないという溺愛ぶり)に他ならないと捉えている。



暗くなってから、私は近くのコンビニに行って、パック入りの酒を二合と若干のつまみを買ってきた。帰りがてらに生家の跡に行ってみた。「今から五十数年前の今頃、祖父はここで晩酌をしていたんだ。そして自分は肘掛をこしらえて、祖父の晩酌を見ていたんだ…」、私はそんな取り留めのないことを考えながら宿に戻った。往時の土地は既に人手に渡っている。然らばあの瞬間は幻だったのか…私は人の世の無常を改めて心に抱き、往時の祖父の心情を思い計り酒を飲んだ。



横町利郎挨拶
三つ子の魂百までもと言いますが、今の私の性格(律儀、至誠、頑固)の多くは祖父から受け継いだものと感じています。軍人上がりで厳格だった祖父ですが、私は一度たりとも祖父から叱られたことはございませんでした。それだけにほろ苦いのです。

出来ればもう一度あの日に戻りたいと思いますが、それもかなわない。然らば、せめて生家とさほど離れていないところに宿をとって、往時の祖父の心境を偲びたい。昨日はずっとそんな思いに駆られていました。

私はこれからもせめてもの供養として、先祖にまつわる逸話を随筆にでもしたためたいと思っています。本日もご覧頂きありがとうございました。


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