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随筆「アスペルガー症候群に学ぶこれからの生き方」
その1、アスペルガー症候群とは
最近、二人のブロ友様からアスペルガー症候群というものを教えて頂いた。広義には、自閉症のなかで、知的障害を伴わなず、言葉を使うことができるものが、アスペルガー症候群であるという。しかし、両者の境界は明確でなく、まだ不明な点が多く残されているという。アスペルガー症候群の特徴は、他人との社会的なコミュニケーションを取り難いにくいことと、関心と活動が狭く、常同的(精神病理学で、同じ行為や言葉を不自然に繰り返したり、同じ姿勢をいつまでもとり続けること)であるのが特徴とされる。

実はコナン・ドイル原作の探偵シャーロック・ホームズもアスペルガー症候群とされているが、彼の場合はあくまでもフィクション上の人物なので、イメージのみを想像して頂きたい。具体的な症状としては、対人関係において、言葉に出されれば理解できるものの、相手の空気が読めなかったり、自分の価値観が他人と同一(自分が好むものは相手も好むと考える)と認識したりするのが特徴であるが、彼らに共通して苦手なものは「他人の情緒を理解すること」であるという。

ところで、ブログでは、スパム行為やこれに準じる行為は明確に禁じられているが、他人の記事に対して記事の内容など、おかまいなしに自分のことばかり書きたがる指向性などは倫理観の範疇で、アスペルガー症候群か非アスペルガー境界の判定は難しい。アスペルガー症候群は約4000人に一人という確率ゆえ、ほとんどは非アスペルガーと思われる。中には十分理解していながらも、自己本位なコメントを書き残してゆくブロガーも見受けられる。これが極論に至れば、更新した記事内容などおかまいなしに、自分の話だけ聞いて欲しいという姿勢となる。私はこれを今、人事のように書いているが、ずっと以前の自分の性格やブログビギナーの頃のスタンスが、アスペルガー症候群に限りなく近いのを認識している。

その2、懺悔と抱負
あれは二十代の頃だった。知人と一緒にスナックやバーなどに行くと、きまって車の話ばかりしていたことがあった。確かに店の女の子は客の話を聞くのが仕事なので、耳を傾けていたが、車に興味のない知人はたまったものではない。懺悔に及べば、若い頃の私はそれだけ空気の読めない人間であった。こうした指向性はいっぺんに改善されるものでなく、程度は軽くなっても鬱を発祥する四十代後半まで続いたと思っている。当時はアスペルガー症候群などという言葉はなかったが、今ならアスペルガー症候群か、その擬似的な症候群(PDD-NOS)と診断されたのかも知れない。



自己中心で空気を読めなかった私の姿勢が大きく変化したのは五十代になって、躁鬱病が寛解してからである。過去の著作に何度も書いた通り、私は武士道の中核を為す儒教を学ぶことで新たな自分の倫理観を構築してきた。そのきっかけをもたらしたのが新渡戸稲造著「武士道」である。儒教の目指すところである五常(仁・義・礼・智・信)を常に意識すれば、自ずと「人の空気が読めない」ことがNGであるということに気づくのである。こうした自意識の変遷は自分のブログの足跡に残されている。

恥ずかしながら、ブログを始めたばかりの頃は、たまに人様のブログに記事と関係のないことを書いたことがあった。ブログ運営には倫理観が不可欠であるのを認識していなかったのである。自分の至らなさに気づくのが若い頃だったら、もっと別な人生を歩めたのかも知れない。但し、今の自分はまだまだ発展途上ゆえ、これからはずっと引きずってきたつまらない虚栄や怨念と如何に決別するかがポイントと認識している。常に自分の欠点と向かい合い、人の意見に耳を傾け、自分に厳しく、他人に優しい境地に少しでも近づけるよう日々努力して行く所存である。

筆者挨拶
本日は若かりし頃の苦い思い出を交えながら、これから或るべき自分の姿について語らせて頂きました。定年間際の頃は時に、過去のしがらみについて、ブログにネガティブなことを書いたことがございましたが、今はすっかりと吹っ切れたような気が致します。これからは自分の見据えるべきものを見失わないよう努めるとともに、自分の糧となり得る思想を学び、自分を更に磨いて参りたい所存です。本日もご覧頂きありがとうございました。
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