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NHK100分de名著 人生論ノート 三木清 『真の幸福とは何か』 Part1
哲学は取っ付き難いというイメージがある。だからと言って食わず嫌いは避けたい。私は普段からそう思っていた。そんな折に今是非とも着目すべき哲学の情報が入った。三木清著「人生論ノート」である。

「人生論ノート」の原文に書いてあることは難解である。これを我々にわかりやすく教えてくれるのが哲学者の岸見一郎氏である。

「人生論ノートが書かれたのは今から76年前の1941年である。岸見氏によると本著は現代にも役立つ本としている。

三木清(1897~1945)

哲学者。明治30日、兵庫県揖保郡平井村(現、たつの市)の富裕な農家の長男として生まれる。1914年(大正3年)第一高等学校に入学、西田幾多郎の『善の研究』を読んで感動し、1917年京都帝国大学哲学科に入り西田に師事する。 京都大学哲学科卒業後1922年ドイツに留学。 H.リッケルトに学ぶ。帰国後1926年処女作『パスカルに於ける人間の研究』を発表。 1927年法政大学教授となる。 1928年羽仁五郎らと『新興科学の旗のもとに』を発刊し『唯物史観と現代の意識』 (1932を著わすなどマルクス主義と哲学の内面的論理的結合を試みたが1930年治安維持法違反で検挙され。釈放後、1932年『歴史哲学』を著わす。

1933年学芸自由同盟を結成し岩波新書の創刊に参画した。以後『構想力の論理』『哲学ノート』『人生論ノート』『技術哲学』を著わす。 1942年陸軍に徴用されマニラに報道班員として派遣されたが1945月再び治安維持法違反のかどで投獄され2次世界大戦直後に獄死する
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岸見一郎氏は本著が難解な表現で書かれた理由を第二次世界大戦中の言論統制下で書かれたことに所以するとしている。

たった100分で名著の概要が掴める。私はこれだけで大きな徳を掴んだ気になる。明日の19日(水曜)はAM5時半から第三回の再放送がある。私はこの生放送を視聴したいと思っている。

ミック挨拶
私のブロ友様で介護をされているかたが数名ございますが、献身的な介護は自分が幸福であるから出来るのであって、自分が不遇に立った際は必ずしもこうは出来ないものと感じております。私は偽善者にだけはなりたくないと考えています。三木は偽善者の恐ろしいのは、彼らが意識してしるのは、絶えず他人であり、社会であるとしています。

即ち、彼らの多くは他者の評価や社会的な評判だけを意識して、求められた役割だけを果たそうとします。大変恐れながら今の公務員の殆どはこの典型と認識しております。つまり善悪の価値基準を他人に預けて自分で判断しない。三木はこれを精神のオートマティズムと名付けています。我が国にこうした思想が求められた背景には翼賛体制(日本国民による戦争への協力)によって必然的に求められたものと認識しております。

私はサラリーマン人生として、権力に抗うことで生き残りを果たして参りました。但し、これは単なる結果であり、けして抗うことが目的でなく「精神のオートマティズム」を否定し、自分の考えをはっきりと主張したために過ぎなかったことをお断りしたいと思います。

歴史作家の司馬遼太郎は我が国の国民性を「公のために自分がどうあるかを絶えず気にするもの」としていますが、私が貫いた生き残りは、根底から我が国の国民性から逸脱するのかも知れません。

そのような組織の中で、私はあくまで「精神のオートマティズム」とは対面する生き方を貫いてきたのです。三木の言う「他者の評価に捉われない生き方」にございます。私はこれを貫くことで大敵とされる虚栄を駆逐することが出来たと認識しております。

人間は弱い動物ゆえ、孤独では居られません。然らば自ずと他人の目線を絶えず意識するものとなります。但し、ここで一線を画し、他人の目線を離れることで、初めて自分の人生が客観できる。私はそのような信念をもってサラリーマン生活の最後にピリオドを打ちました。

ところで、三木清著「人生論ノート」への感想は、次回はこの放送が完結した際に立ち上げたいと踏まえています。本日は読者様にややわかり難い記事となったことをお詫びしたいと存じます。次回こそは痒いところに手が届く記事になるよう尽力したいと考えております。本日もご覧頂きありがとうございました。

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