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東北最大の前方後円墳へ六年半ふりの訪問
昨日、私は6年半ぶりに名取市(仙台市の南に隣接する市)の雷神山古墳に向かった。

古墳の名は雷神山古墳である。雷神山古墳は、宮城県名取市植松にある古墳。形状は前方後円墳。国の史跡に指定されている。 東北地方では最大の規模で、4世紀末から5世紀前半の築造と推定される。仙台平野一帯を支配した広域首長の墓とされる。

Google航空写真で雷神山古墳と小塚古墳の位置を確認して頂きたい。

古墳の全容を立体画像でご覧願いたい。



左の法面が雷神山古墳の後墳、正面が小塚古墳(円墳)である。小塚古墳は雷神山古墳に埋葬された人物と何らかの関係のあった人物の墳墓と見られている。何せ千六、七百年も昔のことなので、配偶者なのか或いは子孫なのかは定かでない。

ここは雷神山古墳と小塚山古墳の挟間の部分である。

東側に目を移すと広大な仙台平野が広がる。但し、春霞が掛かっているので遠望は効かない。

このビューは雷神山古墳の前方後円墳の前方の側から後方に連なる円墳のアングルである。ここから見ると主軸の全長168メートル、後円部の直径96メートルに渡るこの古墳の規模を実感して頂けるのかも知れない。

後円墳の頂上にはこのような石の社が存在する。社の設置された時代と、古墳が築造された年代にどれくらいの開きがあるのかは不明である。




これは社の隣に位置する石碑だが何らかの宗教的な意味があるような印象を受けた。

後円墳の頂上から前方側を見てみた。方角で言うと南西側のビューである。

前方の部分は後年になって一般の墓地も作られている。

著者挨拶
少し前に仙台市若林区の遠見塚古墳(東北では雷神山古墳に次いで、第二位の規模の前方後円墳)を紹介しました。遠見塚古墳が作られた時代も雷神山古墳の作られた時期とほぼ一致します。改めて、両古墳を見ると当時の土木技術がけして侮れないものであったのを認識します。豪族同士の争いは4、5世紀の近畿中枢地に成立した王の権力組織であるヤマト王権との関わりが気になります。この二つの東北地方の大きな古墳に葬られた人物がヤマト王権に追従したものなのか、或いは敵対したものなのか…これは戦国時代の大名、豪族の生き残りを懸けた戦いに共通したものがあるのかも知れません。いずれにしても現存する古墳の多くは謎に満ちています。

こうした古墳への訪問は、私にとっては歴史探訪であるとともに、一方でフィールドアスレチック的な息抜きでもございます。古墳に植えられた桜は蕾がほころび、今日にも開花するような趣でした。この雷神山古墳は眺望もよく、自然にも恵まれているので、これからはハイキングやウォーキングにもお勧めです。本ブログではこれからもこうした史跡にスポットを当てて行きたいと考えています。そろそろ仙台でも待ちに待ったソメイヨシノの開花宣言がされるようです。従って見ごろは来週と察しております。私は他の地域にお住まいのかたとの花便りの交歓も楽しみにしています。本日もご覧頂きありがとうございました。

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