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真のサムライ此処にあり…相馬野馬追…

今年も相馬野馬追が近づいた。(今年の野馬追は7月29日~31日)である。私はここ三年連続して相馬野馬追の中村神社出陣式に足を運んでいる。もちろん今年も行くつもりである。ブロ友様で中で今年の相馬野馬追を見物したいというかたが居られれば遠慮なく申し出て頂きたい。初日の7月29日(中村神社出陣式~鹿島区での副大将出陣~総大将お出迎え)に関しては私が案内役を務めたいと思っている。

本日、ブログにこの動画をリンクしたキーワードは「サムライへのなりきり」である。相馬野馬追に参加する武者たちはこの三日間まさにサムライになりきる。実はそんな私もサムライになりきったいきさつがある。本日はなぜ自分がサムライになりきったのか説明したい。尚、旧来までのブロ友様には、既に過去の記事で事情をお見知りおきと察している。本日は比較的知り合って日の浅いブロ友様に、ミックという人物の本性を知って頂きたかったのである。
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エッセイ「私はなぜサムライになりきったのか?」
※注釈:本日のエッセイは過去の中編小説「我が後半生と武士道」の一部から引用したことをお断り致します。

私が九州で鬱を発症したのは2005年12月初めのことだった。小さな雪玉を雪原で転がすとあっという間に大きな雪玉となるが如く、最初はちょっとした不調としか思えなかったことがただ事でないと認識できた時は既に遅かった。数分前にやろうとしたことが思い出せない。それが新たな焦りに繋がる。それは蟻地獄に落ちた蟻が必死に脱出を試みる姿と酷似していた。こうしているうちに、私は日増しに思考力と判断力、気力が大幅に衰え、仕事を遂行できる状態からはかけ離れたものとなっていった。

この不本意な状態が三週間ほど続くうちに新たな異変が現れた。それは自ら命を絶つことを考え始めたことであった。出張先である九州のウイークリーマンションでは決まって朝早くから目が覚めた。それはほとんどが二時か三時ころだった。一度目覚めると不安に駆られ二度と寝ることは出来なかった。この時私は様々なネガティブなことばかり考えた。

自分がリストラされて仕事を失ったら家庭はどうなるのか?家族と別れるくらいなら死んだほうがましである。そうした暁で自分が死んだらどうなるのか?…それならいっそのこと、ここから飛び降りれば楽になれるのかも知れない…私は毎日のように寝床の中でそのような良からぬことを考えるようになっていた。但しこの時は食欲が落ち多少頬はこけても外見上はさして健常者とさほど変わりなかった。今思えば、そのことが更に新たな誤解を受ける原因に至ったのかも知れない。

死のうか?それとも生きようか?そんな悩める私を理解してくれた一人の人が居た。私が人生の師と仰ぐその人には朝出勤する前に、藁にもすがる思いで三日ほど続けて電話した。最初はただ聞くだけだったが、二日目、三日目になり、その人には今の自分の精神状態がたただならぬことが伝わったようだ。三日目の日、すっかり気持ちが滅入ってどうすればいいかわからなくなった私にその人は「どうにもならなかったら、すべてを捨ててすぐにでも精神病院に飛び込め」と言ってくれた。

私にはその時の言葉が神仏の声のように聞こえた。「これで何とか助かる…」こうして私は職場を抜け出して病院に駆け込み、『抑うつ状態、三週間の療養を要する。』との診断書を書いてもらい何とか一命を取り留めた。
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鬱発病から二年が過ぎた。病状は一向に良くならず、このままでは会社を辞めるしかないというところまで私は追い込まれていた。いつ辞表を出すかということばかりを考えていた私に奇跡的に一筋の光が差した。それは2007年の12月27日にNHKテレビで放映されたその時歴史が動いた「天下に旗を上げよ、伊達政宗、ヨーロッパにかけた夢」を見た時のことだった。私はこの番組をDVDに撮り、その後何度も繰り返し見た。恐らく二百回は見たはずである、二百回も見れば一字一句違わないほどナレーションを記憶できたし、言わんとする内容も完璧に把握できるまでになった。

この時同時に非常に不思議な現象が起った。信じられないことかも知れないがこの時、自分が政宗の生まれ変わりであると本気で信ずるようになったのだ。これは彼の不屈の精神と私の負けん気が同調した瞬間でもあった。実はこの時、私は躁鬱病の強い躁状態に陥ったのである。うつから躁にスイッチが切り替わったのである。伊達政宗への成りきりは今思えば精神医学でいうところの「成りきり」であった。そしてこの躁がもたらす「成りきり」は過剰なエネルギーを私にもたらし、その後の周囲の人との軋轢を引き起こす原因となっていくことになった。

※サムライになりきったミック(2013年11月3日石巻市伊達武者行列にて撮影)


しかしながら、この病気のやっかいなところはうつ病と違って自覚症状がなく、自分は正常と認識しているがはたから見ると異常にしか見えないところであった。想像できないことかも知れないが、躁の状態では今までのうつ病のマイナーな精神的要因が全く逆に作用するのだ。一言で言えば天井知らずという表現になる。夜はほとんど眠らなくても良かった。床につくといろいろなアイディアが次々と泉のように沸いてきた。車を運転すると他人の運転がかったるく感じられた。また人と話をすればほとんどの人の話はゆっくりとのんびりしているように聞こえた。世の中の動きが全て自分にとって遅いと思えるほど、スローテンポに見えた。更にゴルフウェアーは無意識のうちに黄色や赤などの人目につく派手なものを好むようになった。

こんなことは人生で初めてであったが、客観視がまったくできていないため、その自覚は微塵も感じられなかった。睡眠時間はわずかな時間で間に合った。このころは目が覚めると居ても立っても居られなかった。寝床でじっとしていることがどうしてもかなわず、勢い余って会社に早朝三時半に出社したこともあった。しかしそれは常人の理解できる範囲を大きく超える異常なものであった。ハイテンションと疲れ知らずは仕事を遂行する上では大きなアドバンテージをもたらしたが、一方で極度の自信過剰、自己過大評価、誇大妄想が現れ、周囲が全く見えなくなり、多くの人と摩擦や軋轢を起こし、私は三週間に渡る休職を余儀なくされた。
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この時、私は躁鬱病の処方薬であるリーマスという薬を処方されていたのであるが、これが効いているという実感はまったくなかった。主観的に効き目だけをいうのならリーマスとは異なった睡眠薬だけは明らかに効いたと記憶している。不安感に駆られたときは睡眠薬を飲んで早めに眠りについた。但し、この睡眠薬の量を間違えると翌日の午前中まで意識朦朧となり仕事にならなかった。だから休みの前日にしか、この睡眠薬療法は出来なかった。また、この頃は時々誇大妄想などがあったために職場では何かとトラブルを起こしがちになった。

こうしたいきさつを経た私が、伊達政宗の次になりきったサムライは政宗の家臣、支倉常長だった。彼は主君である政宗の命により、七年の歳月をかけて仙台藩とスペインの通商の成立に尽力したが、当初の目的は達せられなかった。しかし彼は侍特有の強靭な精神力で困難に立ち向かった人物である。私はその強靭な精神力を彼からあやかりたいと考えたのである。彼は通商成立のためキリシタンに改宗しながら最後までけして諦めることがなかった。結果は伴わなかったものの、彼自身には恥ずべきことは何もなかった。私はここに自分が見習うべきものがあると思った。但し、彼に興味を持つに至った経緯は彼の主君である伊達政宗への畏敬の念があったからにほかならない。
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私が六ヶ月に及ぶ躁状態を脱したのは2008年の初夏のことである。もしここで人から「あなたはうつ病になって何を失ったか?」と聞かれたら「社会的信用と名誉です。」と答えることだろう。信用は仕事をこなすことである程度は回復することが出来るが、失った信用を完全に回復するには以前の三倍~五倍くらいの貢献をしないと元には戻らない。これは私が肌で感じた偽らざる実感である。

私はここで失ったもう一つである名誉を回復するには武士道が必要と考えたのである。躁うつ病特有の副産物により何人かの侍に成りきった私であるが、それは表面上の強がり(猪武者や匹夫の勇の類)だけであってはならないと考えた。真のサムライの心を知るには武士道の本質を学ぶ必要があると考えたのである。

こうしたいきさつで新渡戸稲造の『武士道』を読んだ。新渡戸稲造の『武士道』の中では「侍にとっての忠誠は名誉遂行の手段であり、けしてその逆ではあり得なという言葉が印象に残った。即ち、武士たる者はただ単に強い気持ちがあればいい というものではない。その根底には儒教の教えに基づく礼節、仁義、忠恕の心がなければ ならない。これらが合わさってこそ初めて武士道と言えるのである。

武士道を己の生き方の基盤とするならば、心の悩みは己の内面に留めるべきものなのかも知れない。但し正道を貫くには単にコンプライアンスのみでなく、社会倫理がどんなものであるのか知らなければならないし、モラルが乱れつつある組織に於いては、時として自己アピールも必要となろう。常識ある人間として現世を生きるには正しい倫理感も身につけねばならない。

己の姿が映った鏡をなるべく歪みのないものにしたい。歪みのない鏡を手に入れるのには我が国の倫理の基盤となった儒教精神の代表である論語を学ぶほかあるまい。こうした経緯を経て、私は日本人の道徳の礎となる儒教の心を理解するべきと思うようになった。私が学んだ教育ビデオはNHK人間講座「論語紀行」(坂田新氏解説)全12巻である。ここではその中で特に印象に残った言葉を紹介したい。
 
※『怪力乱神を語らず』
 「怪」は怪奇で不思議なこと
「力」は怪力を意味し力が強いこと
「乱」は道理に背き世を乱すこと
「神」は鬼神のこと

これは孔子は理性では説明がつかないようなこの四つの言葉をけして口にしなかったという姿勢を弟子が語ったものである。今の自分は以前の自分より気が短くなり、何かと激情にかられやすくなったので、こうした己への戒めは常に心がけたいと思っている。
 
※五十にして天命を知る
実は天命には二つの意味が存在する。一つは使命であり、天から自分に与えられた仕事や人生に於いて成すべきことをいう。もう一つは宿命(運命)であり自分の努力ではどうすることも出来ないことがらをいう。坂田氏によると孔子はこの二つを良く理解するのが肝要であると述べているという。世には己の努力ではどうしても及ばないことがある。ゆえにこの言葉の意味は自己客観視というよりも、人間の普遍性を説く言葉として己の心の奥底に刻みたいと思っている。

※天を怨まず、人を咎めず
自分はあることで人を怨むことがあった。しかしながら、恨みという概念からは何も生まれない。恨みをルサンチマンに転じ、他人を見返してやろうという気持ちになって初めてポジティブなものになり得るのである。私は孔子のこの言葉の意味をそう解釈したいのである。

人の生き様はよく大河に例えられるが、坂田氏によると論語に於いても同じだという。大河は時として流れる量が変わったり、にごったり、澄んだりするが、その根底の流れは数百年、数千年を経ても変わらない。

論語はその人その人に生き様に於いて様々に解釈され、啓発に使われるものであるという。今回この六時間に達する鑑賞を経て私が掴んだのは人間として成すべきことはいつの世になっても変わらないということである。私は自分の天命を正しく理解し、啓発に努め、少しでも煩悩がもたらす心の中の暗雲を取り払おうとする精進をこれからも怠らないで生きてゆくことだろう。

平成26年度 相馬野馬追 総集編 1日目

忘れてならないことは、武家社会は縦社会から成り立っていることである。これは現代のサラリーマン社会と酷似している。従って武家社会の成り立ちを知ることはサラリーマンとしての処世を学ぶことに他ならない。定年を前にした私は相馬転勤を経て、これを自分への追い風として捉えたのである。武士道を極めることはサラリーマン社会を恙無く勤め上げることへの大きなモチベーションに直結する。私はこれを机上の理論とは無縁の実践論として切に唱えたいのである。
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筆者挨拶
誤解して欲しくないのは、今でも私が伊達政宗や支倉常長らになりきっているということでなく、以前の私が窮地を乗り切るのに彼らになりきり、サラリーマンとしての生き残りを果たしてきたということです。私が今こうして居られるのは武士道との出遭いがあったからに他ならない。然らば自分にとっての武士道は一体何なのか?ということを私が生きているうちに是非著さなければならない。著すことによって、心の病に苦しむ人の暗い道に一筋の光を灯したい。そうした使命感が私のペンを進めてくれました。

このエッセイのベースとなった中編小説「我が後半生と武士道」はまだまだ加筆修正の余地があると思っています。現存する先人作家の多くの作品は難産に難産を重ねた末に生み出されたものが多いと考えます。従って私はこれからの更なる加筆修正によって、自分自身の中核を成す武士道について語って行きたい所存です。本日もご覧頂きありがとうございました。
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