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シューベルト マス
リンク曲について
漢書の「宋名臣言行録」に、「水至って清ければ、則ち魚なし。人至って察なれば則ち徒なし」との一節が在る。私は宋名臣言行録のこの一節は人間社会に於いて、あまりにも潔癖すぎると他人が寄り付かなくなることへの示唆を与える言葉と受け止めている。本日はこの言葉と今の私のブログについて、なるべく主観に捉われることなく語ってみたい。私の今の心情を曲に表すのならば、この曲が近いと思い、リンクに至った次第である。
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随筆「水が澄み過ぎると魚は棲めなくなる」
この言葉を知ったのは或る知人からの忠告だった。その知人Aとは自分の自慢話をすることで次のような論議を交わした。

ミック
自分が何かで表彰されたり、栄誉を受ける場面で、それを他人に吹聴するのはどんなものか?俺はあまりいい気分がしないし、自分では極力そうしないように努めている。


君の言うことはわからないことはないが、それでは人が寄り付かなくなる。「水が澄み過ぎると魚は棲めなくなる」という言葉があるように、渓流も澄み澄み過ぎると魚は住めなくなる。ある程度濁っているから魚は餌にもありつける。従って人間もあまり潔癖過ぎることばかり言っていると、いつしか人が寄り付かなくなるよ。


………

私はAの言わんとすることをいろいろと考えた。潔癖が一体なぜいけないのか?その時は、そのような疑問が湧くだけでその言葉の意味をどうしても理解できなかった。
※※※
それから数年後、私は公私に於いていろいろなことがあり、多くの紆余曲折を経て、ようやくこの言葉が理解できるようになってきた。儒教でいう五常(仁・義・礼・智・信)は確かに大切だが、これを自己の信条のみでなく、他人にも当て嵌めようとするのは無理がある。と悟ったのである。

これはブログ運営にも当てはまることである。ブロガーの価値観は千差万別ゆえ、全ての人が自分の感性と合うのは望むべくもないが、せめて寛容なる心を以って、少しでもその心情を理解しようという姿勢で接したいと私は思っている。

この考え方は禅にもあり、同義の言葉として「官には針をも容れず、私には車馬をも通す」(表向きは針をも通さないほど厳格を装っていても、裏では車や馬をも通してしまうほどの寛容さがないと、取り巻く人の心は徐々に離れて行く)というものがある。私はこれを肝に命じて「和合とは何か?」の真意を常に己に問い、皆様とともに楽しいブログライフを堪能してゆきたいと思っている。
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ミック挨拶
人の心中を推し量るのは難しゅうごさいます。自分の価値観を相手に当て嵌めようとすると食い違いを生ずるのは珍しくございません。むしろこのほうが理にかなっているし、他人に遅れをとるまいという個々の闘争心によって現代の競争社会は成り立っているとも言えます。そんな現代社会で朋を求めるのならば、本日述べたことは不可欠と察しております。

まだまだ拙い自分ですが、こうした方向性だけは持ち合わせています。読者様、ブロ友様に於かれましては、改めまして、今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い致します。本日もご覧頂きありがとうございました。


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