fc2ブログ
 1983 Journey - Separate Ways Live 
リンク曲について
目の前に二つに分かれ、けして後戻り出来ない二つの道があったとしよう。この時にどっちに進むのかで、多くの人は悩むことだろう。私はそんな時に備えて、迷わぬよう普段から何れを選んでも悔いのないように覚悟を決めていたいと思う。右なら右、左なら左と。兵法に「戦場に於いて将たる者の迷うのを戒める言葉がある」迷うことで周囲に不安をもたらすからである。JournyのSeparete Waysを聞くといつもそんな情感が沸いて来るのである。

春の嵐の中での瞑想
本日の仙台は気温こそ10度まで上がったが春の嵐が吹き荒れる荒れた一日であった。以前から私はこのような住宅地を歩き回るのが好きである。ルートは決めないで直感で好きな道を選んで歩くのである。選んだ道の中には、少年時代に通って以来ずっと通ってない道もある。そんな時にあの時の遊び仲間は今頃どうしているのかなどと、ふと思うことがある。

あの時あどけない少年だった私も、今はすっかり変わってしまったが、あいつも変わったに違いない。道で擦れ違ってもお互いの中にある記憶では幼い少年ゆえ、想像もできないほど容姿も変わり、かつての遊び友だちだったことなど思いもよらないことだろう。

住宅地の尾根になったところから北のほうを眺めると遠くの山にはまだ残雪があった。

少年のうちは人の一生が短いことなど思いもよらなかった。苦い思い出の多い青年時代もあっと言う間に過ぎ去っていった。そのうちに家族を持ち、仕事に明け暮れているうちに、あれよあれよという間に、白髪の目立つ初老の風采になっていった。時の流れは公平に人に老いをもたらすのである。そして知人のうちの何人かは既に帰らぬ人になっている。

もし過去に戻れるなら戻りたい。私は無意識のうちに腕白だった少年時代に遊んだ空き地を探していた。そんな空き地には初めて見るような住宅やアパートが建っていて、昔の面影を見出すことすら叶わなかった。

今目の前に往時のままであいつが現れてくれたら…私はそんな取り留めのないことを考えながら細い道を進んだ。

尾根伝いに歩き、今度は仙台市中心部に目をやった。気まぐれな春の風に己の身を委ねながら、遠い昔の出来事を一つ一つ思い浮かべた。果たして自分がこの世で別れた人間のうち、世を去ったのは何人なのか?自分は年を経るごとに、生き別れと死に別れの区別が曖昧になってくるのを感じるのである。当に「光陰矢の如し」を改めて感じた今日の散策だった。

ミック挨拶
皆さん、本日はいつもの朝の冷え込みもなく、風は強いものの、十分に春を感じる一日でした。最初は散策を中心に春らしい風情などを書こうと思いましたが、途中から少し趣向を変え、己の叙情などを加えて文章を綴ってみました。そのために取り留めのない文になったことを何卒御容赦ください。本日は桃の節句でもごさいました。ブロ友の皆様に於かれましては、どんな桃の節句を送られたことでしょう?お手数ながら教えて頂ければ幸いに存じます。本日もご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)