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江戸時代後期に巨額の富を為した斎理屋敷
本日は去る2月28日に訪問した丸森町の斎理屋敷を紹介したい。下の二枚の写真は県道45号線側から撮影したものである。如何にも江戸時代後期の豪商らしい屋敷構えであるが、血筋が絶えて町に寄付された建物は一部が建て替えられているものの、往時の面影を濃く残している。

※古いお得意さんに於かれましては、ご記憶にあるかたもお在りかと存じますが、過去に於いて、斎理屋敷は2014年の5月8日の記事で取り上げた経緯がございました。











斎理屋敷の位置をgoogle航空写真で確認して頂きたい。

配置図で各建物の位置関係を確認して頂きたい。

江戸時代後期から幕末にかけて生糸相場を掴んだ斎理は手前金二千両を越え、今で言えば上場企業並みの財力を持つに至った。

2年前の記事では嫁部屋(嫁用の離れ)を後ろ側から撮影したアングルがなかったので、公開は掲載した。右側の石造の建物は離れの風呂である。

この時代、石で造られた風呂は非常に少なかったはずである。

石材は白御影石を使っている。石は冷えるので冬場は朝から準備したというのはすごい!恐らく風呂番は専属で、ずっと付き切りだったのではないだろうか?

浴槽も洗い場も、そして壁から天井、床に至るまで全て白御影石で作られている。

右が屋敷の奉公人の食事である。一穀一菜が一般的な庶民の食事だった時代に、この屋敷では奉公人にさえ、このような魚の煮付け他がついた食事が振舞われた。奉公人から見た斎理家は、当に「別世界の天国」といった印象を持ったのではないだろうか?

これは6代目のダンポ(旦那のこと)の豪傑ぶりを表す人形である。一斗樽を背にして二合は入るような大きな盃で酒をあおるダンポ。あまりの酒豪

ぶりに誰も最後まで付き合い切れなかったというからすごい!右から二番目の人は団扇係
である。

それにしてもおおらかな風情
の漂う往時の酒飲み事情である。

酒席で客人に出された七福神そろいの盃は全部で二升も入ったという。

斎理では奉公人への面倒見も良かったようである。昼休みに植木鉢の世話をさせられた或る奉公人にまつわる美談も残されている。

十年契約で借金のあった奉公人が植木鉢に水をやると、時々給料三日分くらいの金が植木鉢においてあったという。このためこの奉公人は七年で借金を返し終わり、その後三年働き、田畑を買って独立したとのことであった。

ミック挨拶
皆さん、世知辛い世の中になって久しいですが、昔の斎理では主と奉公人との間に、このような暖かい心の通い合いがあったようです。もちろん携帯電話もパソコンも車もごさいませんでした。デジタル全盛の現代、我々はその利便性と引き換えに多くの掛け替えのないものを失っている。この屋敷に来る度に私はそれを痛感します。そう考えると便利さと豊かさは必ずしも比例しない気が致します。

ブロ友の皆様に於かれましては、こういうアナログ文化に限りない郷愁や文化的魅力を感じることはございますでしょうか?もしございましたならお手数ですが、お知らせ頂きたいと存じます。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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