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エッセイ「現代サラリーマン処世術」
前書き
昨年の12月をもって私は会社を定年退職した。今思い起こせばけして順風満帆なサラリーマン生活ではなく、満身創痍となりながらのゴールであった。満身創痍と述べたのは四十代後半で鬱を患ったからである。私は職場で鬱を患い、定年まで勤め上げるのは容易なことでなかった。これには企業側の偏見も響いているものと考えている。即ち、鬱病が治れば以前のようなパフォーマンスを取り戻せるにも関わらず、企業側には当該社員のやる気や能力への評価と、鬱病によるパフォーマンス減少を同一視している傾向が存在しているからである。

私が一番苦労したのがそのギャップ(治ればちゃんと仕事ができるのに、それを理解してくれない会社との見解の相違)であった。2009年前後に起きた長時間残業による社員の自殺が社会問題になってからは、やや日の目を見た感のある「職場鬱」だが、依存として昨今のD社の社員の長時間労働による自殺や、鬱病を患った社員への偏見的な見方が存在するのは大変残念なことである。今回はそんな自分の経験を活かして、第一章では主にフレッシュマンや若手に対してのアドバイス、第二章では、不幸にも出世を逃してしまったベテラン社員へのアドバイスについて述べたい。或る統計によるとサラリーマンのうちで出世コースに至った者は全体の二割程度であるとされる。然らば、残りの約八割は現状維持か脱落組ということになる。従って本書の対象とする層はけして少なくないと考えている。

第一章「継続は力なり」
世に「継続は力なり」という言葉がある。私はこの言葉は大方のサラリーマンにとって当てはまる言葉と受け止めている。大方と言ったのは、中には転職して現状の職場よりも優れた組織に行ったり、自ら開業して成果を挙げたかたも居られるからである。今回は大多数側のサラリーマンに当てはまる「継続は力なり」について述べたい。サラリーマン継続のために入社してから身につけておくべきものとして私は次のものを掲げたい。

1、スキル
スキルを以前の言葉で言えば職務遂行能力というものになる。これは改めて説明の必要もないものと考える。言うまでもなく、雇用する側は仕事のできる人物を必要としているということである。入社してからは、日々OJT(オンザ・ジョブ・トレーニング)に励み企業から必要とされる人材となることが、自己の啓発にも繋がり会社を継続する上での大きな武器となる。ここで言うスキルとは単に「切れ者」という意味だけではなく、コミュニケーション能力を発揮しての人心掌握術や仕事を遂行する上での要領、人付き合いの上手さなども含まれる。

2、ライセンス(資格)
技術職はもとより、営業職であっても資格を持っていたほうが断然有利である。中には資格取得が出世と密接につきまとう企業もある。仮に仕事はできなくても、資格を持っているだけで一目置く企業もある。それは資格を取得してからでもスキルを向上できるからである。

3、広範囲に渡る知識と社会常識
サラリーマンは単に専門知識のみを身につければいいのではない。一般常識とともに、世間というものの成り立ちを知り、世の中の道理を弁えるれば、窮地に陥った際に打開策を見出す武器にもなり得る。例えば、部署や自分自身に成績不振などに際した場合、どう立ち回れば良いのか、こうしたことはマニュアルにもないことが多い。上司に相談するもの一法だが、これはせめて若手から中堅社員まで。いい年になってからも上司ばかりを宛てにしていると己の度量を疑われ、やがて軽視へと繋がるからである。論語に「五十にして天命を知る」という言葉がある通り、人間五十が近づいたら覚悟のようなものと持つべし。従って仮に上司に相談するにしても自分なりの考えをしっかりと持つことが大切である。専門知識に捉われずこうした意識を持ち、社会を広く知ることで、多くの既成の事例を知り、やがては責任の取り方や取るべき方向性が見えてくるのである。


第二章敗者から見たサラリーマン生き残り術」
サラリーマンの啓発本は概して仕事にどう立ち向かい、上司にどう接するか?という出世指向の路線に関して述べているものがほとんどである。従って、不本意ながら出世を逃してしまった際に、どう対処するのかについての著作はほとんど出ていない。本章ではそれについて述べたい。
前章でも述べたが、私は私は五十を目の前にしてうつ病を患い、サラリーマンとして出世を逃した。但し、その後復活を果たして組織に流されない生き方をずっと貫き、自分が窓際族かどうかはわからないが、敗者と称された中では数少ない生き残りである。本日は窮地に陥った私がなぜ生き残れたかについて具体例を挙げてお話したい。

1、パワハラの定義を理解する
厚生労働省のホームページを御覧頂きたい。パワハラの定義は何も人格否定や危害を加えることでない。その定義には「仕事を与えないこと」や「能力に満たない仕事を与える」ことも含まれる。こうしたことでその社員のやる気を奪い、自己退職に導くのはブラック企業の常套手段である。この定義を知っていれば、仮にこうした処遇を受けた際に、会社側に正論として申し立てることが可能となる。企業に労働組合やユニオン(共同労働組合)があれば、もちろんこうした組織にまで自分の置かれた状況を知らせることが絶対条件である。

仮に労働組合はユニオンが思う通りに動いてくれないなら、労働省の機関である労働局、県の労働委員会、弁護士会へ相談する方法がある。「能力に満たない仕事を与える」ことと第一章で述べた「ライセンスの取得」は密接な関係にある。せっかくライセンスを持っているのに、それを必要としない部署に所属を変えること自体、「能力に満たない仕事を与える」ことに繋がる可能性があるからだ。従って、もし会社からこうした処遇を受けた場合は、こういう事実を事前に知っておくことが肝要である。

2、自社の就業規則の把握と労働関係法令への精通
就業規則を必要以上に恐る必要はない。何故なら就業規則は単なる私法であり、憲法や労働関係の法令を超えるものでないからである。就業規則の中にこれら公の法令に反しているものがあれば、単なる会社側の一方的な都合で設けた規則に過ぎず、労働省の機関などに訴え出た際は是正命令の対象となるからである。その為には自社の就業規則が関係法令に照らし合わせて、合法なのか違法なのなかを、よく把握する必要がある。

3、多くの人が共有できるような正しい倫理観を持つ
一度組織を敵に回すと、上司の盾(カバー)など一切期待出来なくなる。となれば、常にその言動は人道から外れてないことが強く求めらる。そ為には、コンプライアンス厳守は基より、正しい倫理観を持つことが不可欠である。我が国に倫理観の根底は儒教思想にある。従って論語などの修得で、大多数の人間が持つ倫理観を持つように努めることが必定である。

儒教の精神の礎になるのが五常(仁、義、礼、智、信)である。即ち、仁は思いやり、義は普遍的正義、礼は習俗を尊重する姿勢、智は正しい判断力、信は発言と実行の一致である。人に己の意見を言う前に、先ずは自分の襟を正さねばならない。従って、五常を履行することでようやくその基盤が整うと考えるべきである。但し、五常に満足することなく、人として目指すべき更に上の領域の五徳(温・良・恭・倹・譲)も視野に入れ日々の精進に励むべきである。

ところで、禅の教えに「竹の節に上下はあるが優位性は存在しない」というのがある。即ち、組織である以上は上下関係がなければ成り立たない。但し、ここに於ける上下関係は指示命令系統に於ける秩序を差すものであって、優劣(尊卑の絶対)を指しているのではない。これを取り違えると、上役に対して萎縮してしまい、思ったことが言えなくなる。

例を挙げるならば封建時代の殿様の座る場所が家臣の座るところよりも一段高い位置(上座)にあったのを思い浮かべてもらいたい。己の心の中で上役を上座に位置づけることで、無意識の中で自己暗示を掛けてしまい、言いたいことも言えなくなってしまうのである。これを回避するのであれば、上役を役付け(部長、課長…)で呼ぶのでなくさんづけで呼ぶなど、あくまで人間としては対等であるという意識を強く持つ(気合負けしない)ことが肝要である。

4、自他の冷静な状況分析と時期の見極め
「彼を知り、己を心から知らば百戦危うからず。」これは孫子の兵法に出てくる有名な言葉である。この言葉の持つ意味は極めて深いものであり、長きに渡って人類の戦略(勝利への方程式)として活用されているものである。

ほとんどの場合、彼(相手)の力量は甘く評価され、自分の力量は過大に評価される傾向にある。それに警鐘を鳴らすのがこの言葉である。相手方の真の狙いがどこにあるのか、姿勢を正させ奮起を促すものなのか、或は潰しが目的なのかを正しく把握し、己が取るべき対抗策を講じることが肝要である。また兵法には「出るべきところは出て、控えるべきところは待つ」という意味合いの言葉もある。

即ち、己に利があ非がないから打って出ることができるのである。もし利がなければ引いて模様を見ながら力を温存するべきである。これが案外難しい。攻めるよりも引いて守ることのほうがずっと難しく辛抱を要するのである。従って待ちに入った際は、風が追い風に転ずるまで待つことも必要となる。その為には、盲目となり、猪武者、猪突猛進に至らぬよう、常に自己客観視を怠らないように心がけなければならない。自己客観視の礎になるのが前項で述べた正しい倫理観によって培われた揺るがぬ自己信念である。
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筆者挨拶
歴史作家・司馬遼太郎は我が国の国民性を「生真面目で、公の中で個人のあるべき姿勢を模索するもの」としています。これに類するものでは「連帯責任」という思想もごさいました。これは欧米諸国の個人主義とは明らかに異なる倫理観です。今でも多くのサラリーマンに接すると、会社に抗ってまでは勤められない…報復が怖いという見解に接します。但し一部のブラック企業はこれをいいことに、社員を虫けらのように扱い、まるで消耗品と同じように考えているところもあるようです。

そんな時に泣き寝入りしないためにも、今の労働者の置かれている立場をよく理解する必要があるのではないでしょうか?ここで見誤って欲しくないのは、私は出世組を批判したり僻んでいるのではけしてないということです。要は共存共栄すら許さない彼らの非人道的姿勢、不徳に対して抗議しているのです。労働者の方々に述べたいのは、何も知らない従順な羊となっていれば、いつしか企業の都合で潰されることが在り得るということです。今回の私のエッセイが少しでもそういうかたのお役に立てればこれに勝る幸いはないと考えます。本日もご拝読頂きありがとうございました。


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