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歴史エッセイ「伊達政宗公生誕450周年を迎えて」

仙台城を訪ねたのは三年ぶりくらいだろうか。仕事で仙台を離れて他方に移り住み再び戻ってきても、ここに来ないと帰ってきた気がしない。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」…私にとっての仙台城は杜甫の有名なかの詩「春望」にも似た格別の響きがある。

私は去る1月17日、尊敬して止まない名君の在りし日の面影を求めて、国際センターに近い脇櫓(戦災で消失するも1967年に復元)のそばに佇んだ。脇櫓に隣接する大手門は戦災で消失したものの、秀吉から拝領した名護屋城の城門を移したものだった。大手門からの登城が許されるのは藩主のみ、然らば政宗も馬に跨り従者を従え、威風堂々とここを通ったに相違ない。私はそんな思いを込めながら白亜の脇櫓にしばし見入った後、息を切らしながら本丸に向かう急坂を登った。



開府間もない仙台城は、スペイン大使セバスチャン・ビスカイノをして「城は日本の最も勝れ、最も堅固なるものの一にして、水深き川に囲まれ断崖百身長を越えたる厳山に築かれ、入口は唯一つにして、大きさ江戸と同じくして、家屋の構造は之に勝りたる町を見下し、またレグア(1レグア=約5,573メートル)を距てて数レグワの海岸を望むべし」と言わしめている。


誇張は感じるものの、仙台城は東側に広瀬川にのぞむ65メートルの断崖、南側には龍ノ口渓谷と言われる50メートルの峡谷、西側は深い山林という天然の要害としての要素に恵まれている。周囲5箇所に隅櫓を設け、中央に大広間を始めとした建物を配置し、家康に遠慮して天守閣は置かなかった。私は本丸跡の大広間のあるあたりに立ってみた。



ビスカイノはこの威容に満ちた仙台城に政宗の野望を重ねたに違いない。私は目をつぶりながらビスカイノの気持ちを推し量ってみた。眼下には百万都市仙台が悠然と座っている。日差しはあるものの風が冷たい。放射冷却のせいか遥か遠くに目を移せば牡鹿半島が朧げに浮かび上がっている。今年で生誕450年を迎える政宗は、1613年11月28日、月ノ浦を出港した支倉常長らをどんな気持ちで見送ったのだろう。(一説によるとサンファンバウティスタ号の出航は引き潮を利用したものだったと言われる)



そんな思いに駆られながら、東側の断崖に近寄り、大仙台の市街地に目を凝らした。高層ビル群が午後の陽に輝き眩しいばかりである。私はふと小室達氏によって作られた政宗の精悍な騎馬像を見上げた。その時、仙台の街を見下ろす隻眼の英雄の姿を讃えるに相応しい或る言葉を思い出した。

「政宗は武将の道を修め、学問にも通じ、外国の事情にも思いを馳せ交渉を命じた。文武に優れた武将とは実に政宗のことである」これは明治天皇のお言葉である。



片倉小十郎影綱の重臣への取立て、一時は敵対した大内備前定綱の召抱え、慶長遣欧使節団への支倉六右衛門常長の起用…彼ほど人の能力を見抜き、時代の行く末を的確に見定めた武将も珍しい。

あれはフェリーだろうか。太平洋の大海原には冬の陽に照らされた白い船が浮かんでいた。私はその大船の鷹揚とした姿に政宗の見果てぬ夢を重ねつつ、仙台城址を後にした。
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