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映画「五稜郭」感想
前書き
私は以前から全国に散らばるブロ友様の郷里の歴史についていろいろと調べているが、本日紹介する映画版「五稜郭」は北海道の函館にお住まいのブロ友様・joeyrock様への誼を深めたいということが動機の一つになっている。

もう一つの動機は私の昨今の幕末指向である。ここで、もし人様から「日本史の中であなたはどの時代に最も興味を惹かれるか?」と聞かれたなら、私は戦国時代と並んで幕末を挙げることだろう。やはり天下大平の世よりは激動の時代に魅力を感ずるのである。

では幕末に活躍した人物の中で誰に一番魅力を感ずるか?と聞かれたら、迷うことなく榎本武揚の名前を挙げたい。榎本武揚は幕末の函館戦争の幕府軍の中心人物である。榎本に関しては、以前NHK「その時歴史が動いた」やNHK Eテレ「榎本武揚 敗北からの復活劇」で見た経緯があったが、本日は改めて彼の横顔を紹介したい。



以下国立国会図書館「近代日本人の肖像」より引用し横町が編集
幕府御家人下級武士の子として生まれる1856年長崎海軍伝習所に入所。文久1862年から4年間に渡りオランダ留学する。彼はオランダ留学で先進国の政治、経済、国際法、ヨーロッパ文化、農業、工業などを広く学んだ。また四カ国の外国語(英語、オランダ語、フランス語、ドイツ語)にじた。明治元年(1868年)海軍副総裁となる。

江戸城開城後、官軍による軍艦の接収を拒否し、函館五稜郭で官軍に抵抗するが降伏。黒田清隆の庇護の下、北海道開発に従事。明治年海軍中将兼駐露公使となり、翌年樺太・千島交換条約を締結。海軍卿、駐清公使を経て第次伊藤内閣逓相に就任。黒田内閣農商務相・文相、第次山県内閣文相、第1次松方内閣外相等を歴任した。

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「五稜郭」の見所と感想
彼はけして位の高い武家には生まれなかった。彼が立身出世するためには新時代をリードするグローバルな知識を身につけることが不可欠だった。そのような境遇が自ずと彼を勤勉にした。オランダ留学を経て帰国した榎本は国際法に長けていた。もはや攘夷の時代は終りを告げ、世は大政奉還を経てグローバル時代の幕開けを迎えようとしていたのである。その難産の苦しみが明治維新であった。彼は幕臣に生まれたばかりに、数奇な運命に弄ばれることになった。

※里見浩太郎演じる主人公・榎本武揚(中央)


海軍副総裁だった榎本は艦隊を引きつれ江戸湾を脱走し、蜂起した旧幕臣らを主艦開陽丸などに乗せ、奥州仙台を経て北海道は函館の五稜郭に至った。その後、彼は幕府軍参謀による選挙によって総裁に選ばれた。そんな榎本はオランダで学んだ国際法に則って新政府軍の捕虜を解放したという。一方でアボルダージュ(海上で敵に向かって攻撃する際、突撃の寸前に旗を揚げ替える作戦)なども行い、実践をもって近代の戦の在りかたを唱えた。

しかしながら圧倒的勢力を誇る新政府軍は日増しにその勝利を確信していた。勝利はもはや時間の問題と考えていた新政府軍の黒田了介(薩摩軍の参謀・後の総理大臣黒田清隆)は戦いの最中、敵将の榎本に使い番を出した。旧幕府軍の全面降伏と五稜郭の開城を促したのである。

※榎本武揚に意気投合する新選組副長・土方歳三(役者は渡哲也)


その際、榎本は降伏には応じなかったが、使いの者に「海律全書」(それまでの日本になかった海上に於ける国際法託した榎本は例え己の身が滅んでもこの著を黒田に託すことで日本の将来に役立てばと考えたのである。これに胸を打たれた黒田は五稜郭に篭城する幕府軍に薩摩の酒とマグロの刺身を贈り、その夜は停戦を誓った。粋な計らいであり武士の情とも取れる黒田の男気であった。黒田は日本の将来のために榎本を絶対に死なせてならないと考えたのである。一時は自決を決意した榎本であったが味方の説得でこれを辞し、全面降伏へと動いた。

※多くの同志が戦死し、遂に降伏する榎本武揚(左)と黒田了介(役者は西郷輝彦)


榎本は最高指揮官としての任務を最後まで全うして投獄された。その後榎本の人となりにほれ込んだ黒田はそんな榎本を重んじ、釈放後北海道開拓の総指揮者に任命した。その後はプロフィールに書いた通りである。海軍中将兼駐露公使となり、樺太・千島交換条約を締結。海軍卿、駐清公使を経て第1次伊藤内閣逓相に就任。その後黒田内閣農商務相・文相、第1次山県内閣文相、第1次松方内閣外相等を歴任した。

※壮絶な最後を遂げる土方歳三(1869年5月11日)


私の直感で言うと、榎本武揚は新選組の土方歳三ほどの人気はない。彼は華々しく散った土方と違って明治の世になって永らく生き残った。従って、男気に溢れた土方歳三ほど大衆受けしなかったというのがその理由でないだろうか?この「五稜郭」はそんな彼にスポットを当てた作品である。非常に見所の多い長編映画であるが、脚色らしいものもほど良く比較的史実には近いものを感じた。興味のあるかたは是非見て頂きたい。

横町挨拶
皆さん、私は時代の先駆者となった優れた人物を見出す際、敢えて政府軍、幕府軍という敷居は設けたくないと感じています。榎本武揚を高く評価した黒田了介もこういう考えがあったのでないでしょうか?これをもっと広い視点で捉えるならば、所属している組織や過去のわだかまりなどの先入観をもって、人を評価してはいけないということになります。こうした見方をすることで私は自らの人脈を更に広げて行きたいと存じます。本日もご覧頂きありがとうございました。


本ブログ榎本武揚関連記事
歴史エッセイ「榎本武揚と星恂太郎の生き様」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33388027.html
榎本武揚に学ぶ「負けても生き残る術」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33269211.html
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