fc2ブログ
 文部省唱歌汽車 
リンク曲について
一昨日の12月17日(土)私は5年9ヶ月振りに再通したJR常磐線に乗って相馬に向かった。福島第一原発からさほど離れてない地域のことなので、これは何を置いても読者の皆様にお伝えしなければならないことと察している。本日は或る意味で使命感に苛まれてペンを執ったことを最初にお断りしておきたい。使命感と申し上げたのはもちろん、福島県浜通地方、宮城県南部沿岸部の一日も早い復興である。これからもこの地域に於いて動きがあった際はいち早くお伝えしたいと心得ている。

一昨日の大いなる感動をどういう曲にリンクしたらいいのか迷ったが、検索ではさほど時間を要することなく、文部省唱歌の「汽車」に行き当たった。「今は山中、今は浜♪…」これほど復旧した常磐線(浜吉田~相馬間)を見事に歌い上げた曲は他に見当たらないのである。

仙台を出てから30分ほどで亘理についた。亘理は定年近くなった私が一年半に渡って住んだ町である。そういう意味で極めて感慨深いものがあった。

亘理を出た列車は次の駅(浜吉田)に向かった。標高200メートル超の阿武隈山地が私の右手に展開した。亘理の広大な土地のほとんどは沖積性の堆積から成り立っている。改めて母なる阿武隈川、並びに阿武隈山地に畏敬を抱いたシーンであった。

亘理駅を出てから数分後には浜吉田駅に到着。この駅も亘理在住の際、何度か訪ねた経緯があった。それにしても懐かしい。

亘理、浜吉田を過ぎて、いつの間にか列車はガラガラとなっていた。私は過去の記事で、「閑も興なり」と述べているが、この地方の魅力は偏にローカルな土地柄と厚い人情にあると言って差し支えない。

浜吉田駅から山下駅に向かう常磐線だが、いつの間にか比高(周囲の平均路盤面の高さに比べた当該土地の高さ)が相当上がってきていた。右側に連なる阿武隈山地は今年の春から初夏にかけて私が息子と一緒に次々と制覇していった山々である。たった一年半の間に万華鏡のような出来事が圧縮されるいると言っても言いすぎでない。

延々と続く悠久の時の流れと、森羅万丈がもたらした壮大なロケーションに触れ、いつの間にか私は己の身をそれらに委ねることの爽快感に酔っていた。同時に己の存在があたかも芥子粒の如く、ちっぽけなものであるのを再認識した。そう言えば、今となっては、点在する史跡や古戦場への探訪もいい思い出である。相馬転勤がなかったらそういうチャンスは在り得ないことであった。私はそんな過ぎ去った過去を振り返ると、万感募る思い(人生はけしてやり直しが効かない。やり直しが効かないから今を精一杯生きなければならない…)を感じざるを得なかった。

従来までの路線(白黒)と新しい路線(赤)を下図で見比べて頂きたい。場所によっては1キロも内陸側に移されている。

浜吉田駅を出た上り列車は従来のルートと別れを告げ、内陸へと向かう。更に鉄筋コンクリート製の高架橋の上を走ることになる。眼下に見下ろす田、川、道路、ビニールハウス…、これは今までの常磐線に親しんできた私にとって大きな感動であった。少し大袈裟かも知れないが、空中を遊泳している気持ちになるのである。
 Van Halen Dreams Blue Angels 
リンク曲(Van Helen Dreams)について
私はこの大空に舞い上がるような気持ちを込め、Van HelenのDreamsをリンクした。人類は大空に対して憧れを抱いてきた。それは多くの先人が抱いた鳥への憧憬を見れば明らかなことである。津波によって甚大な被害を受けたこの地区の常磐線は、ルートを内陸に移し、高度を上げることで復活に至った。人類のあくなき挑戦と叡智が、この地に再び希望の灯火を灯す。私はその感動をこの曲に託したかったのである。

山下駅が近くなるとこのような住宅地が私の瞼の中に入ってきた。

海あり、山あり、野あり、素朴な人情あり…、昨今「田舎暮らし」という雑誌が書店の店頭を賑わしているが、ため息が出るほどこの地は魅力的である。私は真剣に仙台を後にして山下駅周辺に移り住むことを考えた。

山下駅を出た列車は次の駅「坂元駅」に到着。

県境を越え、新地に入った。新地駅は全体が大幅に盛土され、各駅の中でも最も「人工的な創造」を感じる駅であった。

この後、列車は駒ヶ嶺駅に到着した。この地も新地とともに、1589年に伊達政宗が相馬から奪った土地である。駒ヶ嶺は新地に比べるとかなり寂しいが、今でも相馬野馬追とは一切関係のない土地柄である。

駒ヶ嶺を出た列車は間もなく相馬に着いた。五ヶ月前の相馬野馬追時は、相馬の総大将を始めとした騎馬武者がこの交差点を右折して南に向かった。それにしてもこのロケーションは懐かしい。

ミック挨拶
皆さん、常磐線はかつて仙台と東京を繋ぐ重要なルートでした。確かに大震災で被った被害は極めて甚大なものがごさいましたが、しかしながらいつまでも泣き言ばかりは申しておられません。さすれば、今こそが過去と決別し、東北の将来を真剣に考えるべきとき到来と察しております。私は本日
した記事がその魁とならんことを祈念しています。

復興は綺麗ごとではございません。然らば、福島県沿岸部の子供たちが移動先で、名前の上に「菌」をつけられるようなことは断じてあってはならないものと認識しております。私はこれからも全面的に東北沿岸部の復興が如何にあるべきかを常に考えながら、ブログを運営して行きたいと考えております。本日もご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)