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私は二年前の2014年12月23日、戊辰戦争時に仙台藩隠密として活躍した細谷十太夫に関する歴史エッセイ「石巻を救ったからす組隊長細谷十太夫」を書いた。
歴史エッセイ「石巻を救ったからす組隊長細谷十太夫」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33192809.html

仙台藩士・細谷十太夫は今まで数作の歴史小説と映画「吶喊」(1975年岡田裕介製作)にその波乱万丈な生き様を描かれた人物である。彼は新政府軍からA級戦犯として指名手配され、必死に探されたが、二度も捕まりながらも巧みな立ち回りで生き延び、その後は西南役や日清戦争(将校格)に駆り出されたり、北海道の日高沙流部開墾城司長に就いたり1880年からは石巻大街道開墾城長にも就任した。日清戦争から帰還した彼は戦死した部下の霊を慰めようと出家し、現仙台市青葉区の竜雲院の住職になり1907年、畳の上で波乱の生涯を閉じた。

※復元されたからす組隊長・細谷十太夫の陣羽織(東北歴史博物館展示品)

彼は薩長軍側から見れば単なるテロリストにしか見えないが、我が郷里石巻では英雄である。何故なら彼は既に降伏謝罪に及んだ仙台藩を再び戦渦に巻き込もうとした幕府側海軍総指揮官である榎本武揚らと交渉を持ち、多大な援助物資と引き換えに石巻が火の海となるのを未然に防いだからである。彼は巧みな交渉術を駆使しながら、己の危険を顧みずに仙台藩の危機を見事に救ったのである。
※仙台藩隠密細谷十太夫

ところで私の父方曽祖父G(家系図作成過程で判明・1863年生まれ)、或いは高祖父T(生年不詳)が現石巻市大街道地区(当時は牡鹿原)に入植者として入ったのは1878年頃から1882年ころに掛けてと思われる。石巻大街道開墾事業の目的は戊辰戦争による仙台藩石高没収(62万石から28万石へ)に伴う士族救済であったとされる。私の父の従兄弟によると、1880年から開拓事業の場長を務めた十太夫の指揮の下、鋤や鍬を持ち、広い農地を耕したのが私の曽祖父かたのルーツであるという。
※牡鹿原(現石巻市大街道)地区の地図

但し、これはあくまでも血の繋がりをたどった際のことである。血の繋がりと述べたのは私の祖父(Gの弟)が本家(ミックにとっての本家という意味)の養子に入ったからである。私の本家筋のことは過去の記事に綴っているので興味のあるかたはご覧頂きたい。
2016年9月3日更新「謎に満ちた我が曾祖母Mの生涯」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34352620.html
今回はこうした既成事実を基に私の想像を加えながら随筆風なものを書いてみた。
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歴史エッセイ「大川家の牡鹿原入植」

登場人物:大川龍治郎(ミック父方高祖父)、大川権兵衛(ミック父方曽祖父)

大川権兵衛は数え年で16歳になる。昔で言えば元服を過ぎていたが、連日の馴れない野良仕事に悪戦苦闘していた。そろそろ剣を鍬、鋤に持ち替えてから半年が経つ。そんな日々の繰り返しに於いて、父龍治郎から武士として厳しく育てられたことだけが、己の心の奥底に居座り、めげそうになる今の彼を支えていた。湿地同然の地に作物が育つまではそれなりの時間を要する。戊辰戦争で福島に出兵し敗戦となって引き上げてきた龍治郎に待っていたのは過酷な禄没収であった。

下級武士はもともと禄だけでは食べて行けず、己の土地の一部に自給のために穀物や野菜を栽培しているが、龍治郎の生業もそんな半農半士によってかろうじて成り立っていた。僅かな作物で生計を立てていた大川家にとって、今回の士族救済措置は当に地獄で仏と言ってもいいような願ってもない助け舟であった。「刀を捨てて百姓になったお主らの生きる道はこの広い葦原を農地に変えることだ。そのためには朝から晩まで汗みどろになって稼ぐ以外ないんだ。」十太夫は帰農した侍たちに会う度にこのようなことを言った。入植者は先ず寝泊りする小屋を作る必要があった。こうして牡鹿原のあちこちには掘立小屋が建てられた。

大川家が一族を挙げてこの地の開墾に取り組むようになったのは明治11年(1878年)のことだった。男衆は十太夫に言われた通り、泥だらけになって農地を開墾した。手にはマメができ、血が滲んだ。冬になるとしもやけやあかぎれに悩まされた。女どもは炊事や洗濯をしたりして男衆を陰から支えた。掘立小屋ゆえに、冬場は隙間風が吹き込み寝所には粉雪が舞い込んだ。中には過酷な重労働に耐えきれすに与えられた土地を放棄して逃げ出す者さえあった。また栄養失調がたたり病になって死ぬ者も続出した。こうして彼らは死ぬような思いで自らの手で新天地を切り開き、十太夫の指導の下で数年後には梨や豆、麦などが収穫できるまでになった。

ミック挨拶
皆さん、歴史小説と時代小説の違いをご存知でしょうか?歴史小説は史実を骨子にして作者の想像で肉付けしたものに対して、時代小説はまったくのフィクションです。従って歴史小説を書こうとする際は、現地取材や過去の歴史書を読みあさり、入念な下調べを重ねなければなりません。

今回発表した小品は過去の先祖調べ、郷土史調べに基づいたものです。まだまだ書き足さなければ小説として呈を為すものには成りえません。今回は足掛りを少しでも作ろうと思い、ペンを執りました。もの足りなさを感じたかたも多いと察していますが、まだ途上ゆえ何卒ご容赦願いたいと存じます。次回は戊辰戦争などのことも付け加え、少しは作品らしくあつらえたいと考えています。本日は拝読に授かりありがとうございました。


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