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司馬遼太郎『桃太郎の末裔たちの国』読後感想
司馬遼太郎は時空の旅人と呼ばれる。その様は、客観の域を離れ彼が取り上げようとする時代に時空を超えて自らタイムスリップしようとするが如し。彼の「街道をゆく」シリーズにはそのような魅力を感じている。

最初にお断りしておくが、私は生まれてこのかた関西に足を運んだことがない。従ってもちろん岡山には行ったことがない。それだけに、東北生まれ、東北育ちの私にとって、温暖で波穏やかな瀬戸内の気候風土には限りない憧憬の念を抱くのである。今回も前回に倣い、主な項目毎の粗筋を箇条書きに現し、都度感想を加えながら話を進めて行きたい。尚、岡山には二人のブロ友様が住んでおられるが、それが本書を読む大きな動機となったことをお伝えしたい。お二方(paxchinaさん、まゆさん)には改めて感謝申し上げる次第である。

司馬は作品で岡山人を「擦れっ枯らし」(人柄が良くない)としている。これは岡山県人への偏見とも取れる言葉だが、少なくても戦前に官界や軍人の間で言われてきたのは事実だという。これには戦国大名の宇喜多直家と陸軍大臣・宇垣一成の存在が響いているという。今回はその二人の他、倉敷の資産家である大原家にもスポットを当てたい。

1、宇喜多直家の権謀術数振り(以下ニコニコ大百科より引用)
宇喜多直家(1529~1582)は備前の名族・宇喜多氏の宇喜多興家の子に生まれるが、当主である浦上家三代に仕えた祖父・宇喜多能家と父・宇喜多興家は不遇の上に死去。まだ幼い宇喜多直家も生まれ育った砥石城を逃げ出す事になった。その後母は当主・浦上宗景の奥女中となった為、事実上の孤児の状態から伯母と母の尽力により浦上宗景の家臣となり、300石の小城・乙子城の城主となった。

後に、謀略の限りを尽くして重臣に昇りつめて砥石城を取り戻し、果てには浦上宗景を追放して備前国を支配する戦国大名にのし上がったここまででもかなり険しいものを感じるが、まだまだ続きがある。一時敵対した織田信長をかなわぬ相手と見て和睦。後に信長の家臣である羽柴秀吉と共に中国侵攻軍に加わり、息子・宇喜多秀家の事を、同じく低い地位から駆け上がった身同士で意気投合したと思われる羽柴秀吉に託して没したという

宇喜多直家一度は武家の最下層にまで転落した身から復活する為に、暗殺・毒殺の他、妻の実家や娘の嫁ぎ先を滅ぼして結果的に妻や娘を自決に追い込む等血なまぐさいエピソードから、同じく権謀術数の限りを尽くした毛利元就の様に英雄・英傑とは呼ばれず、血も涙も無い腹黒い人物とされ、著作によっては悪人の代名詞とされる事が多いとされる

2、逆恨みを買った宇垣一成の生き様(以下Wikipediaより引用)
宇垣一成(1868~1956)は岡山出身で大正末期から昭和初期にかけて長州人に代わって陸軍の実験を握り宇垣閥とされる一大勢力を築いた。出世欲、野心を感じる彼の人生であるが、尉官時代には薩摩出身の川上操六の元で地位を上げ、川上の死後は長州出身の田中義一に付き昇進するという変わり身の早さを見せているが、往時の宇垣は他人より出世が遅く「鈍垣」とあだ名されるほどであり、必ずしも処世術が巧みであったとは言えなかったと言う。 

大正2年(1913年)には、山本権兵衛内閣による陸海軍大臣現役制廃止に反対する怪文書を配布し、陸軍省幕僚から地方に左遷された。その後徐々に出世を取り戻し陸軍大臣から陸軍大将まで上り詰める。陸軍大臣時代は軍縮を断行したほか、クーデター未遂計画である三月事件に関与した。その後、予備役入り後に組閣の大命が下ったが陸軍の反対で頓挫し、以後も幾度か首相に擬せられたがいずれも実現しなかった。短期間外相を務めた後公職から引退し、戦後になり参議院議員となったが在職中に死去した。

「喬木は風に痛めつけられる」(強靭な樹木ほど風当たりが強くなり結果的に折れやすい)という言葉があるが、彼は総理大臣に推挙されたこともあったが、結果的になれなかったのは一部の軍人などの失職などによる僻みや怨恨があったと感じている。

3、桃太郎伝説の発端となった吉備津彦とは?
岡山地方にとって、吉備団子と桃太郎伝説は全国的にも有名である。桃太郎の鬼退治は温羅(謀略無人な振る舞いで此の地を震撼させた侵略者で鬼とも比喩)退治をした吉備津彦(吉備の男という意味)にあるという。司馬は作品で温羅を朝鮮(百済か新羅)から渡ってきた者の末裔の可能性があるとしているが、不明な点も多く謎である。

4、自治性を有する倉敷人の誇り
司馬は町全体が商業市場と化している倉敷を大阪の堺に似ているとしているが、江戸時代に誕生したため、濠も櫓もない平和な地で、同時にごみ一つ落ちていないほどの公共性を持った土地柄としている。その背景として、倉敷は代官による統治を離れ富裕商人の合議による自治性を有した独立性が強い土地柄で、住民には「天領」としての誇りがあるとしている。

5、倉敷の生んだ資産家大原家の報徳振り
1に述べた通り、宇喜多直家にしても宇垣一成にしても岡山県人には何か険しいものを感じるが、一方で倉敷の資産家である大原家が果たした役割は大きい。綿仲買商人で大橋家とともに、新興勢力の筆頭であった大原家は倉敷川両岸に店舗と蔵を構えた。その後大原家は紡績会社を経営し巨額の富を得た。その富を様々な分野の研究所設立(社会問題、労働科学、農業)や美術館を設立し社会に還元している。作品中で司馬は大原家のこうした報徳に対しては評価に価すると述べている。
※倉敷川ほとりに建つ大原家住宅

ミック挨拶
岡山と言って連想されるのは何と言っても桃太郎と吉備団子です。私はテレビの時代劇チャンネルを良く見ますが高橋英樹演じる「桃太郎侍」を最近楽しく拝見させて頂いております。主人公の桃太郎から感じるのは勇気と正義感ですが、本著を読んで吉備津彦が桃太郎伝説の由来となったことを知り、今まで持ち得なかったイメージである愛国心も感じました。家来になった犬、猿、雉に吉備団子を振る舞い颯爽と鬼退治に向かう桃太郎。内憂外患を抱える現代の我が国にも彼のような英雄が登場して、世直しを施し鬼どもを蹴散らしてもらいたいものです。

また宇喜多直家に関しては、伊達政宗に抱えられて仙台藩士となった大内備前定綱という人物を思い浮かべます。福島の塩松郡(中通り地方)に居を構えた彼も名うての謀略家で、生き残るために何度も主君を変えた人物でした。その彼の祖を遡ると備前にたどりつきます。(司馬遼太郎『馬上少年過ぐ』より)

※ミックエッセイ「大内定綱の稀に見る生き残り」へのリンクhttp://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32479117.html
古来より、この地域は様々な歴史の通り道となった土地柄ゆえに、こうした方法を以って生き残るしか道がなかったのかも知れません。岡山のブロ友様であられるpaxchinaさん、まゆさんには、岡山県人について、本著の意図とは言え、少し辛口の批評に及んだのを何卒お許し願いたいと存じます。本日もご覧頂きありがとうございました。

本ブログ◆司馬遼太郎の研究◆シリーズ
街道をゆく「仙台・石巻編」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33102757.html
街道をゆく「羽州街道編」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34445516.html
エッセイ「大内定綱の稀なる生き残り」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32479117.html
「加賀百万石の長い眠り」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34470973.html
日露戦争で秋山真之が用いたT字戦法http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34211828.html
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