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 Giuseppe Verdi-Nabucco-Overture 
リンク曲について
私は最近ブログを書きながら音楽をよく聴く。分野としてはクラシック、ジャズ、ロック(洋楽)、マーチなどである。その中でも好きなのがこうしたオペラ音楽である。オペラ音楽は単なるドラマに伴う音楽というよりも、哲学を感じるのである。

ヴェルディ作曲のナブッコはオペラ音楽特有の「強と弱」、「軟と硬」、「平穏と非凡」の極致を感じる。これを自分の人生に重ねながら聴くと様々な回想が蘇ってくるのである。それは単なる個別の喜怒哀楽に留まらず、時として歩んできた人生航路への懺悔であったり、自己喚起であったりする。然らば、本日の随筆はこの曲に、己の思うがままの感性に委ね、ペンを走らせたいと考えている。
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随筆「丁寧語と非丁寧語の使い分け」
元来、文法に於いて丁寧語(ます、です体)と非丁寧語の使い分けは同じ文章の中ではタブーとされている。但し、我が国の日常会話や文章では広く使われている手法である。これはブログに於いても言える。ざっと見て、私のブロ友様の中の二割ほどはこの手法を取り入れておられる。(私もその一人である)本日はこのあたりに焦点を絞り、箇条書きを用いて話を進めて行きたい。

丁寧語と非丁寧語の使い分けによって得られるメリット

語感として聞くほうや読むほうにアクセント(強弱や軟硬)を感じさせることができる。

名言などの引用時には、その言葉の威厳、重みを更に助長させる効果が見込める。

相手との微妙な力関係(上下関係)を含ませたい場合にも使われる。


丁寧語と非丁寧語の使い分けによるデメリット

時として、使う人物に徳がないと読むほう、聞くほうに不快感(権威を振り回すように聞こえる)をもたらす。

上記の記述と関連するが、相対する人によってこの比率を変えれば、不公平なニュアンス(両者の比率によって上下関係や尊卑を露骨に示す言葉)に取られかねない。

感情導入を要さない文書(論文や申し立て文など)にはこうした手法は適さないし、用いる必要はない。非丁寧語を使うこでその趣旨を全うできるものと考える。
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丁寧語と非丁寧語の使い分けに関するミック考察
私は両者のこうした使い分けはけして珍しくなく、我が国の日常として、広く蔓延しているものと捉えております。但し、使いかたを誤ると相手に不快感を与える。使われるかたにはこれを申し上げたいと存じます。

番外ですが、これを逆に応用すれば昔で言う「下克上」(立場的に弱いものが上に立つ者に対して申し立てをする場面)にも使えます。即ち、昔の侍社会の評定(会議)では席は厳密に定められていました。殿様は一段上の席につき、両サイドに家臣が相撲の番付のように並ぶのです。縦の繋がりから成る侍社会はこうしたことで上下の秩序を保ってきたわけです。

従って、下克上をするにはこの秩序に反することをすればいい。申し立てをする相手に敬語や丁寧語を使わないのは当然と言えば当然なのかも知れません。逆に言えば組織に於いて普段から相手を役職で呼ぶと、下克上を申し立てる際乗り越えねばならない壁となります。

サラリーマン生活で下克上をしないに越したことはございませんが、普段から上司を臆することなく、さんづけで呼ぶことでこの壁はなくなります。これは勇気の要ることですが、あくまでも人としては対等であるという意識を失うと、いつの間にか上役に魂を売ってしまうことになりかねません。ちなみに学校などの教育関係の機関では年齢や役職に関係なく、お互いをさんづけで呼んでいると聞いています。

私は机上の理論を好みません。本日は絵に描いた餅でなく、私の実践哲学(現代サラリーマン生き残り術)を基に、私見を述べさせて頂きました。ちなみに、私は会話や文章に丁寧語と非丁寧語を用いても、最後に相手を敬う言葉(ありがとうございます等)は欠かさないよう努めています。本日もご覧頂きありがとうございました。

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