fc2ブログ
前書き
過去にも述べたが、私は躁鬱病特有の「成り切り」によってサラリーマン生活を生きながらえてきた。そのような戯言は出世街道を歩んだ御仁には無縁なことなのかも知れない。だが、出世街道を外れたからといっても家族は養わねばならない。日のあたる出世街道を歩んだ者にはそのような苦労人の悩みはわかるまい。

本日は特版(私のブログは基本的に日、火、木、土、祝のみの更新)として、私が定年退職までなぜ、現職を続けられたかについて率直に述べたい。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
回想 三人の人物への成り切り
その1 Le gitan by Alain delon 

あれは私が学生の頃だった。友人と観た映画Le Gitan(ル・ジタン)のアラン・ドロンは、今までの甘いマスクの二枚目俳優というイメージを大幅に打ち破るものだった。往時、彼はこの映画の主役(ジタン)を務めるために5キロの減量を余儀なくされたと言われる。こういう役はハングリーでなければならない。見方を変えれば、少年時代は不良だった彼の素性が蘇った作品なのかも知れない。

自他ともにアウトローを認める私だが、学生時代に観た映画「Le Gitan」が壮年時に迎えた人生最大のピンチに、大きな打開をもたらしたのは思ってもいないことであった。彼はジプシーだが、仁義に生きている。作品中で、彼が銃口を向けるのは仁義のない輩のみである。もちろん私もル・ジタンのように仁義に生き、無用な争いを避けている。但し、いざという時は躊躇なく引き金を引く。そのような訓練(想定シュミレーション&メンタルトレーニング)は普段から欠かさないように心がけている。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その2 荒野の用心棒 さすらいの口笛 

クリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」、私はその主人公ジョーの如く流れ者である。彼には明確な仁義があった。それは敵に銃口を向けられない限り、引き金を引かないことである。彼は早撃ちと言われるがフライングだけは絶対しない。私もフライングをしないことを心に念じてサラリーマン生活を送ってきた。

単に撃って出るのは簡単だが、引き金を引くタイミングを見極めるのは非常に難しい。仁義がなければ潔く身を引くしかない。今振り返れば、私のサラリーマン生活の大半はそのタイミングを掴むための自己修練の場であった。微妙な間合いを計ってこそ仁義は成り立つのである。これを掴むために払った犠牲は計り知れない。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
その3 上州長脇差 木枯らし紋次郎 

ポエム『上州長脇差の心で現代を生きる』
けして自慢ではないが、今まで数々の修羅場をくぐり抜けてきた。もうダメかと思ったときも何度かあった。しかし俺には度胸がある。それゆえどんな場面に出くわそうがおじけづくことはない。長脇差はいつでも抜く用意が出来ている。俺は伊達に場数を踏んでいるだけでない。

今まで俺を力でねじふせようとした輩が何人も居た。しかし俺には信ずる己の腕がある。どんなに相手が勇んできてもけしてひるまない。相手が手ごわい奴なら己の身を切らせてもいい。俺は隙の出来た輩の急所に仁義の一撃を見舞い、輩の骨を砕くのだ。

今まで権力で俺を潰そうとした輩が何人か居た。しかし今の俺には不屈の反骨精神がある。大義のない権力を振り回す輩どもは俺の敵でない。俺には揺るがぬ思想哲学に裏付けられた反骨の心がある。だから大義に於いて引き下がるものは何もない。さあ、出てくるがいい。俺は誘いの隙を作りお前らが出てくるのを待っているのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
中村敦夫主演「木枯らし紋次郎」、彼は群れることを嫌う。そして他人と関わりあいになることを極度に嫌う。一見個人主義とも受け取れる彼の生き方だが、それは生きようとする本能がもたらすことである。そんな私も生きるためには個人主義と言われることを辞さない。それは家族を抱えている所以である。但し、普段は長脇差(長さは90センチ)を所持していることを隠している。即ち、懐刀である。

そんな私が長脇差を抜くのは敵が挑み掛ってきたときのみである。その一瞬のために日々稽古をし、心身を鍛え、来るべく有事に備えている。こういう生き方を貫くには一瞬の油断が命取りになるし、大変疲れるものである。いざという時に於いて、長脇差の一瞬の切れ味を左右するのは、己の身上に臆することがないか否かに掛っている。然らば、己の歩むべき道を常に模索し、是を信じて仁義に生きるのである。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
挨拶
皆さん、季節はすっかり初冬~冬の様相を呈して参りました。私の好きな言葉は人心惟危 道心惟微 惟精惟一 允執厥中』(出典:書経、人の心は肉体があるから、物欲に迷って邪道に陥る危険があり、本来人に備わってる道義の心は物欲に覆われ微かになっている。それゆえ人心と道心の違いをわきまえ、煩悩にとらわれることなく道義の心を貫き、天から授かった中庸の道を守っていかねばならない。)です然らば、煩悩と決別し、寒さに屈することなく、残された余生では真理の道を求めつつ、日々修行に励みたいと存じます。

文中で「個人主義」と申し上げましたが、私は組織があって自分が初めて成り立つことは百も承知しています。これを考えない個人主義は利己主義に近いものになります。従って利己主義とは一線を画するのが私のいう個人主義にごさいます。欧米では既に浸透している個人主義は我が国の倫理観(公の中で自分がどうあるべきか?)と、一部矛盾する部分があるようですが、昨今よく耳にするパワハラ自殺問題という社会問題を経て、時勢はその倫理観を徐々に変え行くものと受け止めております。

間もなく定年退職。そろそろ長い飛行を経て飛行機の着陸が近づいているようです。私は最後の最後まで予断をせずに、機体を無事着陸に導きたいと心得ます。本日は三人の人物の成り切りに我が人生を重ねながら、己の過ぎ去りしサラリーマン生活を振り返っております。まだまだ修行は続きますが、読者の皆様、ブロ友様に於かれましては、改めまして、宜しくお引き回しのほどお願い申し上げます。本日もご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)