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司馬遼太郎『竜馬と酒と黒潮と』読後感想
前書き
今回、本著の読書欲に繋がったのは土佐出身のA氏と知り合って日の浅いブロ友様のだっき~さんの存在である。A氏は戦国時代に土佐を統治した長曾我部元親の弟・香宗我部親泰(こうそかべ ちかやす)に仕えた重臣の末裔とのことである。詳しくお知りになりたいかたは2014年9月27日更新の拙ブログ「或る土佐武将末裔との宴」をご覧願いたい。

だっき~さんは先日紹介したかたで愛媛にお住まいのかたである。彼女のブログでは現在、高知城シリーズを連載中で、歴史通には目が離せないほどの充実した内容となっている。
彼女のブログの内容について行くためにも本著の読書は不可欠と感じた。
さて、司馬遼太郎に言わせると南国土佐は、自由闊達な気風に満ち溢れ、明治維新やその後の自由民権運動をもたらした優秀な人材を輩出させるだけの基盤があったとしている。本日はそのあたりに照準を合わせながら話を進めて行きたい。
尚、『竜馬と酒と黒潮と』の内容については概要と私の所見を都度箇条書きとし、粗筋と読後感想に代えさせて頂きたい。

A、土佐の特異性について
司馬は四国山脈と外洋(太平洋)による他地域との遮断を挙げている。明治維新を迎え、交通機関が発達する以前のこの地域は天に聳える四国山脈と太平洋によって容易に他の地域と往来できないような閉鎖性があった。彼はこれによってこの地域は独自の文化と気風を持つに至ったとしている。彼は古来から土佐の沖を流れる黒潮が三つの地域(薩摩、土佐、熊野)を結びつけたともしている。閉鎖性と言っても山奥の僻地とは明らかに異なる独自の交流が在り、それがこの地を眠りから目覚めさせたと私は解釈している。

B、戦国期の長曾我部氏支配とその後の新勢力山内氏台頭について
四国制覇を目指した長曾我部元親は極めて野心に満ち溢れた武将であったが、1585年の四国統一の後、天下人豊臣秀吉に屈し、その後に生き残りを図ったものの14年後の1599年、志半ばで京都の伏見屋敷で60歳の生涯を閉じた。

その二年後の1601年、秀吉に対して多くの武勲のあった山内一豊が此の地に赴任してきた。その際旧勢力であった長曾我部氏系の家臣とは三百年の長きに渡って軋轢があった。こうしたいざこざがにあっても外様大名山内氏は改易の憂き目に遭っていない。お家騒動が幕府の恰好の取り潰しの口実にされた時代にこれを回避した山内氏の支配の秀逸性。これについては私の今後の研究課題としたい。
※1570年に於ける全国の大名版図

C、坂本竜馬や板垣退助に見る人物の大きさ
坂本竜馬がそれまで犬猿の仲だった長州と薩摩の間を取り持って両者に同盟をもたらした話は有名だが、そんな竜馬は他藩に行っても常に土佐弁丸出しだったという。恐らく竜馬は郷里・土佐に誇りを持っていたことだろう。この「誇り」が土佐気質の肝となる部分と捉えている。即ち、何事に於いても物怖じしないという気骨の現われこそが土佐弁と受け止めている。坂本竜馬も板垣退助も日本が生まれ変わるならば、己の命は惜しくないと考えていた。ここに独自の風土が育てた土佐男児の心意気の最たるものを感じる。

D土佐人は無類の酒好き、議論好き
司馬は『竜馬が行く』執筆時に頻繁に土佐に足を運んでいる。その際、夜の酒場で感じたことがある。それが土佐人の無類な酒好き、議論好きであるとしている。本著によると、土佐の人の酒の消費量は日本一であるという。また司馬が訪れた頃、高知市の繁華街では、カウンターのあるバーは少なく大衆居酒屋が多かったという。そしてどの居酒屋に行っても土佐弁丸出しの議論が賑やかだったとしている。またこの地は殊のほか曖昧さを嫌う土地柄でもある。我が国の国民気質には「両者の顔を立てる」という独自の価値観があるが、司馬は土佐には議論をしても両者の顔を立て、引き分けとする気運がさほどなく、徹底的に白黒をはっきりさせることを好んだとしている。このあたりには土佐人特有の「熱血漢振り」を彷彿する気がする。

但し、私の知人のA氏はジェントルマンゆえに、東北人である私にその熱血振りをまともに見せることはなかった。但し、彼と酒を酌み交わした二年前、「静かなる中に秘めた熱血振り」はひしひしと感じた。

E、土佐人の持つ楽観的気風
司馬は土佐は奇跡的に本願寺宗による影響(後生欣求的思想:人間の生前の善悪に応じて冥土に行ってからの処遇が変わるという仏教的思想)を受けなかった極めて珍しい土地としている。こうした歴史が現世を楽しめれば良いという楽観的な気風を生み、その後の板垣退助らによる自由民権運動の発祥に繋がったとしている。このあたりは私の知人であるA氏の土佐男児振りと大いに重なるものを感じている。
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ミック挨拶
ブログを真っ白いキャンバスに例えることの多い昨今の私ですが、今の私の最近の歴史志向の背後にあるのは全国に散らばるブロ友様への感謝であり、誼でもごさいます。ブロ友様を大切にしたいから、そのかたのお住まいの地域をもっと知りたいと思う。これはごく自然の流れであると認識しています。

私の今後の夢は司馬遼太郎の著を元に全国のブロ友様の地域の歴史を把握し、己を控えつつ慎みながら、ブロ友様視線に立ったコメントを謙虚にさせて頂くことです。そのためには礼節を弁え、苦労を惜しまず日々精進して行きたいと存じます。ご贔屓に預かる読者の皆様、ブロ友様に於かれましては、改めまして、宜しくお引き回しのほどお願い申し上げます。本日もご覧頂きありがとうございました。

本ブログ◆司馬遼太郎の研究◆シリーズ
街道をゆく「仙台・石巻編」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/33102757.html
街道をゆく「羽州街道編」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34445516.html
エッセイ「大内定綱の稀なる生き残り」http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/32479117.html
日露戦争で秋山真之が用いたT字戦法http://blogs.yahoo.co.jp/bgytw146/34211828.html
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