fc2ブログ
新規書庫◆司馬遼太郎の研究◆増設について
先日、司馬遼太郎の作品「有隣は悪形にて」、「街道をゆく」について触れたが、実は拙ブログに於ける司馬遼太郎に関する記事は過去にも存在している。それは2年前の11月8日に更新したエッセイ「郷里石巻の今昔」である。このエッセイを書くのに大いに役立ったのが街道をゆくシリーズの「仙台・石巻編」である。

今回紹介するのは同シリーズのうちの羽州街道編である。本記事を執筆するにあたって、大いにモチベーションを頂いたのが庄内在住のブロ友様(つや姫日記様)の存在である。つや姫様には改めて感謝申し上げる次第である。



司馬が須田画伯とともに羽州街道を訪れたのは、今から40年前の1976年の9月のことだった。彼は大阪の伊丹空港から空路を経て東根市の山形空港に至っている。その後の行程は下図を参照して頂きたい。



歴史作家 司馬遼太郎(1923~1996)
【以下コトババンクから引用】
大阪外国語学校(現大阪外語大)蒙古語科卒。産経新聞社に十三年間勤務。この間に同人誌『近代説話』に参加。忍者小説「梟の城」で直木賞、歴史小説『龍馬がゆく』で菊池寛賞を受賞。『国盗り物語』『世に棲む日日』『翔ぶが如く』など次々と雄大な構想と巧みな語り口で作品を発表している。芸術院会員。



羽州街道編の概要は次の通りである。詳細については著作をご覧頂きたい。
【概要その1】


【概要その2】


作品では越後→会津→米沢に転封された戦国大名の上杉氏について、司馬は歴史作家特有の視点からいろいろと述べている。会津時代は120万石を誇った大身の上杉氏が、徳川と敵対したため、米沢に移され、石高も30万石から15万石に減ぜられた。これを乗り切った同藩の血が滲むような倹約振り、地場産業振興振りの一端が武家屋敷の垣根として栽培された「うこぎ」という樹木であった。作品に登場する上杉家臣・直江兼続はうこぎの栽培を奨励した。うこぎは食用とされ、うこぎ垣は米沢の風物詩ともされている。



横町挨拶
先日も述べましたが、ブログを運営してよかったと感じるのはブロ友様からモチベーションを頂戴することです。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは全国に広がっているので、日本各地にお住まいのブロ友様の地域を知る一端になる貴重な著物と受け止めております。本日は書庫に◆司馬遼太郎の研究◆を増設しましたが、私は第二弾、第三弾として様々なブロ友様の地域を紹介して行きたいと考えています。改めまして、拙ブログを宜しくお引き回しのほどお願い申し上げます。本日もご覧頂きありがとうございました。

関連記事

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)