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木枯し紋次郎オープニング
エッセイ「媚を売らなかったことの代償
サラリーマンを長く続けて行けばいつしか魂を売らなければならない場面に出くわすことだろう。そんな私もそんな想いを何度抱いたかわからない。あれはそんなに遠くない日のことだった。魂を売るか売らないかの決断に迫られた際に私が選んだ道は紋次郎と同じく気高く生きる選択であった。

一般常識から見れば、私の選択は馬鹿げたことに映るのかも知れない。但し、一般常識でない選択こそが私の生き様であり、偽りのない自分流だったのである。出世の妨げ、冷や飯…魂を売らなかった代償は大きかった。但し、悪いことだけではない。それは組織社会に我が身を置きながら、掛け替えのない自由を勝ち得たことである。

私は群れるのを嫌う。従っていつでも一匹狼である。一匹狼はもちろん媚を売ることはしない。但し、懐刀だけは持ち歩かなければならない。いつでも刺し違える覚悟はできている。そんな私の所持している刀は長脇差(ながどす)と言われる渡世人の持つ刀(錆朱色の鞘を鉄環と鉄鐺で固めた半太刀拵え。長さは90センチ)である。

正直に話そう。今まで私は数度に渡ってこの長脇差を抜いた。何れも我が身に降りかかった火の粉を振り払うためである。私にはポリシーがある。それは自分からはけして斬りかからないことである。但し、相手から斬りかかられた場合はその範囲でない。正当防衛という大義名分を得たからには、臆することなく相手を斬り捨てるのみである。自分の剣術に未熟があれば相手の前に己の屍を晒すことになるだろう。

然らば、常に剣術の腕を鍛えねばならない。(此処で言う剣術の腕とは思想哲学で支えられた揺るがぬ自己信念である)屍を野に晒すか否かは時の運であり、神仏の定める領域である。従って、それを事前にとやかく言うことは埒もないことである。私は普段からこのことを心の奥深くに刻み、今日までずっと生きてきた。

斬るか、斬られるかなどの結果はどうでもいいが、そのプロセスだけは疎かにできない。結果よりもプロセス、それは多くの歴史を見れば火を見るより明らかである。

間もなくサラリーマン人生としての幕引きの時が訪れようとしている。私はこれからもプロセスを重んじ、義に、そして誠に生きることだろう。例え己の屍が野に晒されようとも。
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横町挨拶
皆さん、だいぶ秋も深まって参りましたが、如何お過ごしにございましょう。本日は酒の酔いに任せて少しばかり、己の本心を語らせて頂きました。人生情にほだされるだけが全てにございません。然らば、私のような型破りな生き方があってもいいのではないでしょうか?もちろん回り道は百も承知にごさいます。

ショートカットをするやり方は一見合理的に見えますが、一方でリスクもごさいます。それはゾーンがない中で、組織社会で言うところの情にほだされる懸念にごさいます。サラリーマンとしての生き方を考えるに及び、組織の飼い犬になるのも悪くございませんが、一方で私のような至高な生き方も悪くない。けして開き直るわけではございませんが、今はそう考えたい私にごさいます。本日もご覧頂きありがとうございました。

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