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第三の人生を歩み出した私の自転車
その1「第一の人生」
この自転車を購入したのは10年9ヶ月も前のことだった。あれは忘れもしない。東京転勤時に或ることがきっかけで精神的不調に見舞われ、如何にも立ち治ったように振る舞いながらも心の不安を他人に見せまいという気持ちが強かったころであった。『すべてを捨てて楽になりたい。人生から逃避したい。どこかに逃げ道はないだろうか?逃げれば楽になる…』職場復帰し、表面ではファイティングポーズはとったものの心の奥底に住みついた臆病虫が、或いは小さな悪魔が、私を毎日のようにそのようにそそのかしたころであった。



人目を忍んで、週一回は薬をもらいに診療内科に通った。だが心の病というものはそう簡単に治るものではない。そうこうしているうちに私は再び仙台に戻された。今往時を振り返るならば、自分自身が情けなく、まさに生ける屍同然だった。『敗軍の将多くを語らず』というよりも『語りたくても語れず』という心境であった。また、その心情はほとんどの人に伝わらないものであり、ともすれば誤解(無気力、無能力)へ繋がりかねないものであった。

仙台に戻って私は車通勤になり、この自転車にはほとんど乗らず、自宅戸外に放置されたままとなり年月だけが過ぎ去っていった。ご覧の通り、この自転車は快走車ではない(ビジネス&買い物モデル)が内装3段ギアで、ズボンの裾をギアに巻き込むこともなく、アップダウンのあるところで重宝する。雨ざらしながらも、幸運だったのは定期的に各部に注油していたことである。従って、ところどころに細かい部分に錆は来ているものの使用にはまったく差し支えない程度を保持していたのである。



その2「第二の人生」
仙台でしばらく放置されたこの自転車が再び日の目を見たのは一年半前のことだった。私に相馬という新天地が与えられたのは天命と捉えているが、今思い起こせばその天命を全うするためにはこいつのひと働きが必要だった。老体に鞭を打つという言葉があるが、それは私のみでない。相馬勤務はこいつにとっても同じ境遇だったのでないだろうか?ともあれ、9年振りに通勤に使うことになった私の自転車だが、良好なコンディションを保持できた背景には、仙台時代の各部へのまめな注油が功を奏した気がする。

相馬は極めてローカルな土地柄ゆえ、夜になると真っ暗な夜道を走らねばならない。下手をすると車に追突されるかも知れない;私は日が短くなる9月後半頃から、そういう危惧を感じていた。そのリスクへの対策がこの点滅式尾灯(百均のLED式懐中電灯をビスで固定し、雨よけの防水カバーを被せたもの)の自作であった。相馬では恥ずかしくなかったこの尾灯だが、ひと目の多い仙台ではなぜか恥ずかしい。(笑)



その3「第三の人生」
ご覧の通り、こいつはけしてスマートでない。有体に言えば武骨そのものである。ものの善し悪しはけして外観ではなく、中味をもって決まる。このあたりは私の生き方(人にどう思われようが自分の道は自分で切り拓くスタンス)そのものである。そろそろ11年になる私の自転車だが、三つの勤務地に於ける私のペダルを踏む力をこいつは誰よりもわかっていることだろう。

魂の抜け殻だった東京時代、もう一花咲かせたいと思った相馬時代、そして最後の現役サラリーマン生活となった仙台時代、それぞれの勤務地でこいつとの触れ合いは、はっきりと記憶している。シャーロック・ホームズに於ける友人ワトソン、はたまたドンキ・ホーテに於ける家来サンチョ・パンサ…主人公を陰で力強く支える相棒の存在は二人三脚とも言える。然らば、私の自転車も当に良きパートナーである。今年もそろそろ寒さが身に浸みる季節となってきたが、私は頑丈で武骨極まる奴に己の身を託し、今日も奴とともに胸を張って職場へと向かうことだろう。本日もご覧頂きありがとうございました。



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