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東北最古、最大級の大悲山石仏を訪ねて
もうすぐ慣れ親しんだ相馬地方に別れを告げなければならない。その前に主要な史跡を巡りたい。そう思うと居ても立っても居られなかった。そんな私が電車で向かったのが南相馬市小高区泉沢地区にある大悲山の石仏である。ことの発端をたどれば私が日々の通勤で乗車しているJR代行バスのドライバーAさんと親しくなったことに帰来する。Aさんは相馬市出身で郷土史に詳しい。そのAさんから大悲山の石仏の情報を知ったのは8月半ばのことであった。是非転勤する前に大悲山の石仏を訪れたい…そして遂にその念願がかなう日が来た。

Google航空写真で大悲山の石仏の位置を確認して頂きたい。
赤:大悲山の石仏
黄色:常磐線小高駅
小高駅からの距離は2キロ弱くらいである。

住所:福島県南相馬市小高区泉沢地内

写真で下調べしてから行ったが、本日観音堂の石仏を肉眼で見た際は大変感動した。それは千年以上も前の平安時代に彫られたものだからである。奥州相馬氏が福島県浜通り地方に移りそろそろ七百年になるが、この石仏は実にその三百年以上も前に彫られたことになる。

大変残念なことであるが、十一面千手観音像は風化が進み往時を偲ぶ縁は影薄いものとなっている。

これが十一面千手観音像の復元図である。慈悲に溢れた姿は長きに渡って多くの人の煩悩を和らげたに違いない。そう思うと自分の存在が如何にちっぽけなものなのかを再認識する思いを感じた。信仰が苦悩する人間を救うのは古今東西を問わないものとは言え、改めて「人間の本質とは何か?」を教えるものとして、瞼の裏に深く焼き付けたい気がした。

Google航空写真で大悲山の石仏の位置を確認して頂きたい。
赤:観音堂石仏
黄色:薬師堂石仏
両者の距離は500メートルくらいである。

次に訪れたのは薬師堂石仏である。薬師堂石仏の前には樹齢千年以上を誇る大杉が存在する。この大杉こそは、大悲山の石仏にお参りする人々を長きに渡って見てきた歴史の生き証人に違いない。



薬師堂石仏はこのようなガラス戸の中に収められている。これは風化やいたずらから本尊を守る目的と思われる。

撮影する側の照明を消すことができないので、ガラス戸越しの撮影ではどうしても照明が反射してしまう;中央の像が菩薩立像である。

照明が反射してまともな写真が撮れなかったゆえ、インターネット検索でヒットした画像を掲載する。これは南相馬市小高観光協会のホームページから引用したものである。恐らくガラス戸を解放して撮影したものと思われる。



風化が進んで、全体像が掴み難い薬師堂石仏であるが、これが復元図である。左端の如来坐像に至っては現存していないゆえ、往時を偲ぶ貴重な図である。

ミック挨拶
皆様、人間は誰しも老いて死なねばなりません。ここで人様から「あなたはいざというその時に備えて覚悟が出来ているか?」と問われたら、「いえ、まだ出来ておりません;」と答えることでしょう。一方で孔子は「五十にして天命を知る」と語っています。孔子の言う「天命を知る」とは一体どういうことなのでしょう?往時の感覚から言えば、老い先短い己の末路を視界に捉え、いざというその時に慌てふためかないことが「天命を知る」ということの真の極意なのでないでしょうか?

ちなみに孔子は「六十にして耳順う」(六十歳になって、人の言うことが素直に受け入れられるようになった)とも語っています。然らば、人間還暦を過ぎれば、医者から人生の最期を告げられたときに、じたばたすることなくこれを素直に聞き入れる裁量を持ちたいものです。私は本日、大悲山の石仏を訪ねそのようなことを感じました。

間もなく会社員として最期の締めくくりを迎える私ですが、そう遠くない未来に於いて人生の終結も控えています。これは若い頃はけして感じ得ないことでしたが、間近に迫ったことでもあり、昨今こうした史跡を巡る都度にそれを強く感じています。定年後は少しだけ息抜きもしたいと考えますが、出来れば京都や奈良の古刹を巡る旅(古寺巡礼)もしてみたいと感じております。

「古寺巡礼」は先賢である哲学者の和辻哲郎氏や写真家の土門拳氏も作品として残しておいでです。偉大なお二方には遥かに及ばない私ですが、人として死する前に何が出来るのかを自問自答するとき、そういう古寺巡礼の境遇(煩悩を少しでも離れようとする至高)に強い憧憬の念を抱くものにごさいます。然らば、京都や奈良の古刹を巡って、己の煩悩が少しでも和らぐに至れば、これに勝る幸いはないと受け止めております。

本日もご覧頂きありがとうございました。


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