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定年後に目指したい或る画家の生きかた
間もなく定年を迎える私にとってセカンドライフの過ごしかたは大きな課題である。そんな折に、私にヒントをもたらしてくれた画家がいる。彼女の名はアメリカの国民的画家であるグランマ・モーゼスである。実は恥ずかしながら、私は昨日まで彼女の名前を知らなかった。昨日更新した記事でも彼女のことは触れたが、ありがたいことに、ブロ友様の不あがりさんからは大変詳しいコメントを頂戴した。彼女は異色中の異色とも言うべき画家である。なぜそう呼ばれるのか、本日はそのあたりから話を進めて行きたい。

グランマ・モーゼス(1860~1961)
※以下Wikipediaから引用しミックが編集
ニューヨーク州グリニッチの貧しい農家に生まれる。12歳から奉公に出て27歳で結婚。子供が10人できたがうち人は夭逝す70歳で夫を亡くした後にバーモント州ベニントンへ移り住み、リュウマチで手が動かなくなってからリハビリをかねて油絵を描き始め(本格的に描き始めたのは75歳ころとされる。)1940年に80個展を開き、一気に有名画家となる。89歳の時にはトルーマン大統領によってホワイトハウスに招かれる。101歳で死去するまで約1600点の作品を残

昨日のカメイ美術館で見る限りでは、彼女の描いた絵にははっきりした題名がついてないものが多い。確実に記されているのは、その絵を描いたときの年代である。それはともかく、彼女の絵は非常に明るく、解放感に溢れ勤労を尊ぶような雰囲気が漂っているのが特徴である。彼女の作品は一見リアリズム?とも見受けられるが、実は必ずしもリアリズムとは言えない。

一説によるとコラージュ(バラバラのシーンをキャンバスに貼り付ける手法)のような手法が用いられているということである。また人物や建物などは近くにあるものと遠くにあるものを同じようにくっきりと描き出しているので、多くの画家が用いる遠近法(立体感を出すために遠くのものをぼかす手法)を用いていない。酷評するに及んでは、彼女を素人とする画家もいたということであった。

彼女の絵は雪の日を描いたものが多い。多くの創作家は好奇心旺盛であるが、恐らく彼女にもそんな傾向があったのではないだろうか?私はこういう雪の日に血が騒ぐ創作家は結構多いものと察している。

私の知るところでは小説家の志賀直哉がそうであった。彼も足腰の丈夫だった70代ころまでは雪に日には家にじっとしていられず、長靴を履いて歩き回ったとされる。(小説『雪の日』より)

彼女は夫が亡くなる70歳までは子育てと家事、仕事に追われとても余暇時間などはなかったと思われる。彼女が持病であるりゅうまちで針仕事、刺繍を諦めざるを得なかったが、針を筆に持ち替えることで彼女の創作意欲に一気に拍車が掛った。何と彼女が本格的に絵を描いたのは75歳ころからとされる。

リアリズムとは言えない絵には、彼女が若い頃見た「記憶の中の美しい憧憬」があるものと思われる。登場人物一人一人が生き生きと描かれている点も特徴的である。これは彼女が本来持っている誠実さと、これまで長きに渡って経験してきた勤労の尊さを表したいという欲求があったからではないだろうか?実を言うと、昨日の展覧会では、私も息子もこの真面目さに殊のほか心を動かされ、一枚一枚の絵に都度、足止めを余儀なくされたのである。

一部に既成概念から外れているという酷評を受けた彼女はやがて多くの国民の支持を獲得し、トルーマン大統領からホワイトハウスに招かれ、一気に国民的画家として注目されることになる。私は彼女の名を世間に轟かせた大きな理由が絵に潜んだ誠実さであるように思えてならない。

彼女が生き生きと描いているのは人物や木々のみではない。既に、ニューヨークに摩天楼のビルが建ち並んでいた時代に彼女はそれに目をくれずに、ひたすら古き良き時代の家屋を描き続けたのである。

101歳で亡くなる寸前まで筆をとっていた彼女だが、そんな彼女から得るものは大きいと感じている。「老いて益々壮なるべし」ということわざがあるが、間もなく定年退職を向かえる私にとって、彼女の誠実でポジティブな生き様はまさに手本というべき存在である。

画家としての彼女の活動は主に80代、90代であった。恐らく彼女には晩年近くまで心身の健康を保っていたと想像されるが、何よりも特筆すべきことは「若さは年齢で決まるのでなくその人物の精神で決まる」ということである。定年を間近に控えた私も彼女のような生き方にあやかりたいと思っている。本日は彼女から頂戴した感動と啓発を、記事を通じて皆様にお伝えできれば何よりもの幸いと感じている。

本日もご覧頂きありがとうございました。


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