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 仙台市博物館開催 伊達政宗の夢 
リンク動画について
この動画は3年前の2013年10月4日~同年11月17日に仙台市博物館で開催展示されたアリティーヴィー制作「慶長遣欧使節と南蛮文化 伊達政宗の夢」(慶長使節派遣400周年記念特別展)である。先ほど、YOU TUBEを探したところヒットしたのでリンクしたものである。

この動画の冒頭では本企画開催にともなう式典が映っているが、その式典に招かれたのが伊達家第18代当主・伊達泰宗氏(伊達政宗の子孫)である。

こちらは支倉家第13代当主の支倉常隆氏(支倉常長の子孫)である。ここで支倉常長について改めて紹介する。

仙台藩士 支倉常長六右衛門(1571~1622?)
奥州大名 伊達政宗家臣。1613年10月(慶長18年9月)にメキシコ、スペインとの直接貿易を望む伊達政宗の書状を携え、スペイン人宣教師ルイス・ソテロとともに、約180名を率い仙台藩で建造された500トンの巨大木造船(サンファンバウティスタ号)でスペイン国王、ローマ法王に使節として派遣される。
 
往路は太平洋を横断しメキシコ、アカプルコに入港後、陸路を経て大西洋を横断しスペインに至った。スペインでは当時の国王、フェリペⅢ世立ち会いのもとキリシタンの洗礼を受けるが、貿易実現の目的を果たせず、ソテロの力添えでローマに向かう。(スペインに残された文書よると彼は威厳あり、容姿整い、沈着、賢明、謙譲と記録されている。)
 
ローマ到着後の1615年11月、法王パウロ5世に謁見がかうものの宣教師派遣の同意を得たのみで、当初の目的は果たせずに帰国の途に着く。帰路はフィリピン経由で1620年に仙台に戻る。彼の帰国とほぼ同時に伊達政宗はキリシタン禁止に踏み切る。支倉は数々の献上品を政宗に渡した後、1622年7月、失意のうちに52歳の生涯を終えたとされる。

支倉常隆氏とは2015年1月25日の仙台藩志会でお会いし、名刺交換の上で私の書いた歴史小説『金色の九曜紋とともに』をお渡ししたいきさつがある。第一印象としての常隆氏は当に支倉常長生き写しであり、質実剛健で思慮に溢れた人物であった。

ゲストとして式典に参列する伊達泰宗氏(右)と支倉常隆氏(左)

さて、この絵が本日紹介する鶴岡孝夫氏画による絵である。シチュエーションとしてはサンファン号が仙台領月ノ浦から出港する際に政宗(背中)が常長を激励する場面のようである。支倉常長は交渉を成就させるためにキリシタンになったため、交渉に失敗して仙台領に戻ってからは、その存在さえも秘密にされた人物である。この絵はもちろん想像によって近年描かれた絵であるが、固い主従関係(信頼関係)で結ばれた二人の関係が彷彿できるシーンである。

著者考察
近年の研究で伊達政宗は弟小次郎を殺したように見せかけて、実は殺してない(近年の研究で関東方面の寺に僧として送り込んでいたことがほぼ判明)ことがわかった。彼は万が一自分が死んでも伊達家を滅ぼさないことを常に考えていたのでないだろうか?そして天下取りの最後の夢を支倉常長に賭けた。こう考える歴史家が昨今増えてきている。

作家司馬遼太郎をして梟雄(勇猛果敢な人物)と言わしめた伊達政宗であるが、私はその言葉に権謀術数という形容詞を付け加えたい。なぜなら、彼は単に勇猛果敢なだけでなく、人を欺くことにも長けていたからである。家康や秀忠には表面上の恭順を装いながらも、あわよくば、スペインの力を借りて徳川幕府を倒すと思っていたに違いない。支倉の真剣な表情を見るに、この絵は大変よく描けている。私はこの鶴岡氏の絵にはそのような両者のオーラが漂っていると受け止めている。

本日もご覧頂きありがとうございました。
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