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福島県民謡 相馬二遍返し
相馬二遍返し歌詞

リンク曲について
「花は相馬に、実は伊達に」という言葉がある。伊達62万石、相馬6万石、両家の関係は石高だけでは決められない。それは両家が長きに渡ってライバル関係にあったからである。

時は1600年、関ヶ原の戦いの直前、東軍に与した仙台藩主伊達政宗が中立であった相馬領を通過して帰国しようとした際、相馬氏家中では「長年の宿敵である政宗を討って恨みを晴らすべきだ」という声が高まった。これに対して相馬重臣である水谷胤重は「相馬は代々そのような騙し討ちのような事はしてこなかった」として反対論を述べた。

主君の相馬義胤もこの意見を採用し、水谷は伊達政宗の使者である原田宗資と会談して、政宗の領内通過に便宜を図った。このとき政宗が宿を取った北標葉郷川添邑涼ヶ森(福島県双葉郡浪江町)の華光院は現在、正西寺が建っている。戦後、主家の相馬氏は改易されかけたが、政宗は水谷の恩義に報いる意味をこめて、相馬氏への便宜を図り改易を免れた。

伊達と相馬。奥州南部で戦国時代から幕末まで生き残った藩は伊達と相馬のたった二藩である。血族関係であった両家は敵対していたが筋目は通していた。即ち、ここ一番という時は武士道に基づき、卑怯に走らず、相手を突き落とすことはなかったのである。この「相馬二遍返し」にはその最たるものを感ずる気がしている。
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一年数箇月前の辞令を受け、私は家族を仙台に残し、亘理(宮城県南部)に居を構え、県境を越え福島県相馬市に勤務しているが、その日々はけして安閑としたものではなかった。航空機の着陸に於いては極めて慎重な操作が求められる。場合によってはベテランパイロットでさえ、緊張を強いられると聞いたことがある。今の私とてまったく同じである。今は定年退職という名の着陸に向け、自己客観視を心がけている。右往曲折の多かったサラリーマン人生であったが、「終りよければ全て良し」を己の肝に銘じて、水をも漏らさない着陸態勢を整えているのである。

相馬に転勤してよかったと思うのは「相馬武士道」との遭遇である。私は人に媚を売ることを極度に嫌う。そんな性分が祟って人間関係が平均的日本人より極端に狭い。但し、それは自業自得であり止むを得ないことと悟っている。武士道を意識するということは、いつでも己の進退を他人に委ねることなく、自分で決する覚悟ができているということに他ならない。日々の行き詰る緊張感が生まれいずる油断を抑制し、マイナス志向をプラス志向へ切り替える原動力となったのは偏に相馬武士道修得にあると言ってもいい。

或る知人は現代サラリーマンに求められるスタンスを「見ざる、聞かざる、言わざる」と述べておられた。終盤に差し掛かった今の私のサラリーマン人生は当に毎日がこの言葉との戦いでもあった。下克上は日常である。下克上を一つ間違えれば、その沙汰は必ず己に跳ね返ってくる。いつ果てても命は惜しくない。今思い起こせば、常に進退を意識して日々の出社に望む毎日であった。傍から見れば、実に馬鹿馬鹿しく下らないと思うことが私の拘りでもあり、逆の意味で推進力でもある。そんなことを日々考える私のサラリーマン生活である。
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本日から三連休に入った。私は亘理発の始発代行バスに乗って、相馬で電車に乗り継ぎ、南相馬市小高区に向かった。これは数日前から決めていたことである。
原ノ町駅で乗り換え電車を待つ私、野馬追が近いため駅や目抜き通りには旗差しものが飾られている。常に蟻の門渡り的な身上と戦い、背水の陣を意識してきたサラリーマン生活ゆえ、プレッシャー、自己葛藤と戦い続ける日々の連続。従って、こうした休日の息抜きは必須と言えるものである。
原ノ町と小高の間には常磐大田(いわきおおた)と言う駅がある。掲げられた「おかえりなさい」という言葉に際し、目頭が熱くなるのを抑え切れないシーンであった。

五年半ぶりで見た常磐線小高駅。当に感無量である。

駅を背に駅前通を望んだ。まだAM9時ということもあり町は閑散としていた。

GOOGLE航空写真で位置関係を確認して頂きたい。
赤:常磐線小高駅
黄色:相馬野馬追の神旗争奪戦、甲冑競馬が行われる原ノ町雲雀ヶ原。

来る7月25日に野馬懸が行われる小高神社(小高城址)と16代相馬当主・義胤公以降の相馬当主が眠る菩提寺・同慶寺を訪ねた後、私は小高駅前の「ふれあい広場」に向かった。ふれあい広場では餅つきが行われていた。

建物の中に入ると「ひまわりカフェ」という懇親の場が用意されていた。私は、若い頃はけしてできなかった積極的な話し掛けを心がけ、同時に聞き役に周り人の話に耳を傾けた。年を重ねるのも悪いことだけではない。即ち、場数を踏むことが社交性という名の多面的性格を創造する。こうした度量もシニアの特権なのかも知れない。

小高浮舟ふれあい広場では、野馬追に出陣する侍衆によるほら貝演奏が行われた。私の祖は伊達の武士であったが、ライバル相馬には恐らく一目も二目も置いたことだろう。

私は駅前の売店で「相馬野馬追」のワンカップを購入した。現役サラリーマンとして残された時間は幾ばくもない私だが、相馬武士道の理念に基づき、恥ずかしくないサラリーマン生活の最後を迎えたいと切に願う昨今である。

皆様、本日もご覧頂きありがとうございました。


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