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サラリーマンは魂を売る前に自分を売り込め
若い頃は自分が年老いて心身ともに徐々に衰え行くことなどは思いもかけなかった。それだけ怖いもの知らずで無鉄砲だったのかも知れない。

しかし、そんな世間知らずで生意気だった青年も人並みに年を取った。今の私に似合う言葉は「馬上少年過ぐ」(馬上の血気盛んな青年もあっという間に年を取ってしまった)である。振り返ってみれば煩悩にまみれ、野心を如何に捨てるかを常に問われた人生だった。若い頃の私は理想だけは高かった。二十台前半の伊達政宗が破竹の勢いで東北南部を手中に収めた頃、叔父である最上義光(後に山形57万石当主)に「関東まではたやすい」(関東まで己の手中に入れるのは容易である)との書状を送っているが、二十台後半の私も極めて分不相応な過大な自信を持っていたと記憶している。

井の中の蛙であった私は上司におべんちゃらを使い派閥に走ることを知らなかったのである。そういう私に待っていたのは中年期の低迷であった。気がつけば四十代後半となり、人生の剣が峰に差し掛かった。低迷を続ける私に東京転勤の辞令が下されたのは五十の大台を前にしてのことだった。この東京転勤に私のサラリーマン人生の全てが託されることとなったのである。その時、私を待っていたのは奈落の底への転落だった。鬼が居並ぶ東京で魂を抜かれた私は、夢破れた敗者として仙台に戻されたのである。

心の病を患い、仙台に帰ってからも心療内科を受診していた私は主治医に対して、藁にもすがる思いで接していた。数箇月そうこうしているうちに、主治医が私の人権を軽んずるようになった。私が「おはようございます」と言っても「はい」としか答えないのである。今考えればこの時の主治医の態度が私の眠っていた闘争心に火を点けるものとなったのかも知れない。実はこの医者の横柄な態度は仙台が初めてではない。東京時代の主治医も私に挨拶をしなかったのである。

「畜生!いくら立場の弱い患者とは言え人権を軽んじられてなるものか。きっと今に見返してやる。」そんな反抗心が芽生えたのは2007年の年末の頃だった。その時にちょうど放送された番組がNHKテレビのその時歴史が動いた「天下に旗をあげよ・伊達政宗ヨーロッパに賭けた夢」だった。この番組は録画して繰り返して200回以上観た。この番組に登場するのが仙台藩士・支倉常長である。非常に不思議なことであるが、私は支倉常長に成り切ることで人生のどん底から復帰することができたのである。今振り返れば病状が鬱から躁に転じたのがこの頃であった。

侍に成り切った私は周囲の好奇の目にさらされることとなった。しかしそんな私には自覚症状がなかった。不本意なことであるがこの時に生じた軋轢は寛解後(病状が落ち浮くこと)の私の人間関係を狭めた。その時の邂逅が「礼節に拘るスタンス」である。二人の主治医から人権を軽んじられたことが寛解に繋がったのは皮肉なことなのかも知れない。

今の私がその頃の主治医に逢い同じ目に遭ったなら、肩の力を抜いてこう告げることだろう。「挨拶はどう致しましたか?」と。私は藁にもすがる思いが高じて、医者に対して無意識のうちに魂を売っていたのである。どうせ売るなら魂を売るのでなく、自分を売り込みたい。そう考え、ほろ苦い往時を振り返り今宵も晩酌に及ぶ私である。

本日もご覧頂きありがとうございました。
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