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その時歴史が動いた「秋山真之が日本海海戦で用いた作戦」
秋山真之が用いたT時戦法(丁字戦法とも)とは?
最近、NHKで過去に放送された「その時歴史が動いた」に接することが多くなってきた。これによって、以前は近世が中心だった私の歴史指向が徐々に他の時代に広がってきた。本日紹介するのは近代の日露戦争にまつわる英傑・秋山真之の活躍である。



20世紀初頭の帝政ロシアの南下政策は我が国にとって大きな脅威であった。清国の北部を支配下に収めたロシアは朝鮮半島も伺う勢いを見せ始めた。
こうした中、明治37年(1904)2月6日、ついに日本はロシアに対して国交断絶を宣言した。日露戦争の勃発である。



本日の主人公である秋山真之は松山の貧しい士族の家に生まれた。18歳で海軍兵学校に入学した秋山の成績は常に主席。その才能をして俊英と評されたほどの優秀な人物であった。

海軍兵学校で主席を譲らなかった彼は、友人にその秘訣を問われた際、「教官の説明振りや顔つきに気をつけていると、出しそうな試験問題をほぼ推定できるのだ。」と語っている。当に才気煥発とは彼のような人物のことを言うのではないだろうか?



秋山真之の年表である。彼は35歳で東郷平八郎率いる連合艦隊の参謀となった。



日本軍の大陸への補給路は当に生命線である。兵法に於いて補給路は生死に関わるものと謳われているが、ロシア海軍はこの補給路を断つために制海権を得ようと我が国の連合艦隊に戦いを挑んできたのである。



ロシアの機雷に触れて連合艦隊は2隻の軍艦を失う。ピンチに陥った日本軍にとってロシア旅順艦隊を撃破できるか否かが勝敗を握る大きな鍵であった。この時、僅かな日本軍の指揮の乱れに乗じてロシア旅順艦隊は逃げ切るかに見えたが、不測の事態が起こった。ロシア艦隊の旗艦の故障である。これによって連合艦隊は勝利を納めることができた。



この時既にロシアのバルチック艦隊は対馬海峡を目指して航行していた。



連合艦隊が取ったT字戦法(丁字戦法とも)である。秋山はその極意をかつて故郷の伊予の海を支配した村上水軍(中世の瀬戸内海を舞台に活躍した水軍)の戦術(海の戦では複数の船が全力を挙げて敵の一部を攻撃することが肝要である)にヒントを見出したのである。



連合艦隊の第一艦隊はバルチック艦隊にT字戦法を用いてバルチック艦隊の先頭から2隻を撃沈させたが、3隻目ボルジノ以降はジグザグに進路を変え逃走に及んだ。この時第2艦隊の司令官であった上村彦之丞は第1艦隊を追走することなく、ボルジノ他を追う作戦に転じた。結局これが功を奏し、連合艦隊は奇跡的にバルチック艦隊を壊滅に追い込んだのであった。



奇跡的な勝利を秋山はこう語っている。「この成果を見るに及んで唯感激の極み、言うところを知らざるものの如し」



横町コメント
こうして連合艦隊は大敵ロシア海軍を相手に勝利を収めた。大変残念なことはこの史実(日本陸軍は大陸での戦い敗戦と言っていいほどのダメージを受けていた)が軍によって改ざんされ、日本軍の大勝利とされたことであった。

これによって我が国の帝国主義が一層強化され、その後の太平洋戦争へと突入していったのである。日露戦争は実質的には敗戦同様だったにも関わらず、軍の策略で事実を歪曲され、その後に及んで、「イデオロギーとしての帝国主義思想」を抱くに至ったのは極めて遺憾なことであった。これによって多くの尊い人命が「国土の華」として散って行ったのは言うまでもない。「歴史は繰り返す」とよく言われるが、今こそこうした過去を振り返り、得た教訓を現在や未来に活かす時期が来ているのではないだろうか?

近代史に関しては今後も「その時歴史が動いた」の動画鑑賞や読本で研鑽を重ね、機が熟せばいつしかエッセイでも書きたいと感じている。今夜もご覧頂きありがとうございました。


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