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魂を売ることだけが生き残り術ではない
私は少し前に現代サラリーマンの生き残り術について述べた経緯がある。本日はそれに付随する理論「人使いに於ける二通りのスタンス」について述べてみたい。

もし人様から「今までサラリーマンを長く続けてきて、一体何が得られたか?」と聞かれたら「使う側、使われる側の本来在るべきスタンスです。」とお答えするだろう。但し、こうした思考はただ漫然と日常を送っていたのでは得られない。私がヒントを得たのは論語を始めとした中国古典である。以前も紹介したが守屋洋氏(宮城県気仙沼市出身の中国文学者)の著物は実践哲学の宝庫であり、現に守屋氏は全国の企業や学校などで広く講演会に及んでいる。

但し、守屋氏の著物のほとんどは使うほう、即ち、経営者、管理者の立場に立ったものがほとんどであり、労働者側からの視点に立ったものは少ない。労働者側の視点からこのあたりに触れてみたい。

守屋氏は中国古代の思想家の言葉にスポットを当て、これを現代社会に当てはめ、ヒエラルキー構造に於いて、人を使う者の持つべき第一の裁量として「徳」を挙げている。ここで言う「徳」をもっと平たく言えば人徳のことである。但し、我が国の多くの企業にこれが浸透しているか?と聞かれたら答えはノーである。

聞くところによると、一般職から管理職になったとたんに、年上の部下を君付け呼ばわりする企業があるという。権力によって人を従わせるのを本分とするこうした考えは、思い違いも甚だしいと言わざるを得ないのである。

例えはよくないが、猿使いは初めて猿に際したとき、猿に噛み付き、「俺はお前の親分だから、これからはいつ何時でも俺に従うべし」という「特有の儀式」が存在するが、当にそれを彷彿させるのが、こうした間違った手法である。では使われる側のあなたがこうした局面に立たされた際、一体どうすればよいのか?魂を売り、使われる猿に徹するしかないのか?あなたが、もしこうした選択をした場合、このような封建時代的主従関係はずっと続くことだろう。或いは、あなたがミスすれば鞭で叩かれ、もっと強く噛まれるのかも知れない。

こうしたやり方には大きな落ち度がある。即ち、憲法14条に定める「法の下の平等」(すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。)に反するからである。この矛盾を徹底的に突いて行けば間違った人使いの姿勢を正すのは容易である。但し、これを実践に移すには権力に真っ向から向かうことに他ならない。さすれば労働組合の有無などは一切視野に入れず、先ずは自分を磨き、思想哲学によるゆるがぬ自己の信念の構築を目指すべきである。

私はこの猿使いにのみ物申すのではない。こうした管理者をのさばらせる経営者にも疑問を持つのである。人を使う真意を知らない彼らには、中途半端な帝王学を振り回す前に是非こうした著物に触れ、己の目にびっしりとこびりついた鱗を剥がしてもらいたいのである。

本日もご覧頂きありがとうございました。
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