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福島県民謡 相馬野馬追
リンク曲「相馬流山」解説byミック
「流山」は相馬中村藩祖の故郷「流山」(今の千葉県流山市)の地名にあやかったものである。1323年、相馬重胤が従三十余人を率い、住み慣れた総を後に、奥州相馬地方に下向した際、口ずさんだものとも言われる。

一方で土地の酒造りの時にも歌われたり、鎌倉武士の間に親しまれたとも言われている。元々はの間に歌われたもので、現代では相馬野馬追には出陣式時に歌われる。歌詞には野馬追の際の景観を含んだものも多く見られ、ゆったりとしたメロディーとともに格調高い歌いまわしに「東奥の君子国」と称される相馬中村藩の名誉を彷彿させるものである。

ちなみにこの曲に歌われる「五月中の申」とは旧暦のことである。これを新暦に直せば6月27日ころになる。従って藩政時代の野馬追は、今の野馬追より約一ヶ月近く先に行われていたのである。但し東北南部の6月末はまだまだ梅雨が空けきらない。そういう事情もあって何度かの変遷を重ね、7月末開催に変わってきた昨今の野馬追である。
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ちょうど一週間前の先週日曜日のことだった。私は相馬図書館の帰路(宮城県山元町役場前)でこのようなバスを見かけた。相馬野馬追の騎馬武者のデザインが入ったバスである。バスには「東北アクセス」と記してある。仙台と南相馬市(旧原ノ町市)を結ぶバスである。

今年も相馬野馬追が近づいた。(今年の野馬追は7月23日~25日)である。ブロ友様で今年の相馬野馬追を見物したいというかたが居られれば遠慮なく申し出て頂きたい。私が責任をもって案内役を仰せつかりたいと思っている。

そんな私は本日、会津の美酒「相馬野馬追」で晩酌に及んでいる。本ブログで相馬野馬追のことは何度も紹介しているが、千年以上の伝統を持つこの祭りには単なる祭りという風情より、小藩(六万石)の相馬が奇跡的に幕末まで生き残ったことへの賛歌的な意味さえ彷彿している。

そんな私は普通のサラリーマンとはまったく異なった道を歩んできた。ここで話すと長くなるので、興味のあるかたは書庫の中編小説【我が後半生と武士道】を拝読頂きたい。

上記の会津清酒「相馬野馬追」とこの写真を見比べて頂きたい。清酒「相馬野馬追」のラベルは総大将出陣を表したものである。昨今は二日目に南相馬で行われる神旗争奪戦や甲冑競馬をメインイベントとするむきが多いようだが、私はそうは思っていない。侍はいざというとき、潔く主君に命を捧げねばならない。されば主君あっての侍、私は相馬中村神社の総大将出陣こそがこの祭りの肝と解釈している。

「一」という旗指物が相馬に多く見受けられる。ここで言う「一」は追従を意味するという。即ち、「私は殿の家臣、されば地の果てまでもお仕えしたい。」という気持ちの現れである。

今年も相馬野馬追への秒読みは始まった。遠い時空を経て相馬武者たちの熱き思いが現代へと伝わってくる。観る者と参加した騎馬武者の感性の一致を見るとき、この祭りは他に例のない無形文化材として、それまで表皮の下に隠れていた真骨頂を現してくることだろう。
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