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歴史エッセイ『夜討坂ロマン
※前書き
このエッセイは先月二度に渡って訪ねた宮城県亘理町の旧道「夜討坂」を訪ねたことを基にいくつかの文献を調べ、史実を転用し、それに私の見解を加えて歴史エッセイとしたものである。一部において、過去に更新した記事との重複があることを始めにお断りしたい。ちなみに歴史上の事実のみを並べた郷土史史書と歴史エッセイは似ていながら根底で異なるものである。読者様には一部に私の想像を加えて執筆に及んだことをご理解願いたい。

相馬への夜襲に使われた峠道
この四月から大学生になる息子を連れ亘理町の吉田地区を訪れたのは三月末のことであった。目的は戦国時代に伊達が相馬に夜襲を掛ける際に使ったとされる夜討坂(ようちさか)を訪ねることである。

私は昨年の四月から仕事の都合で亘理町に住んでいるが、町を少し外れるだけで、周囲には豊かな田園地帯が広がり、所によって緑の大地はなだらかにうねり、うねった斜面には大小様々な果樹園や畑が存在し、点在する民家を守るように屋敷林が覆っている、その雄大な景色は一見すると、国木田独歩の著した明治の頃の『武蔵野』の趣さえ彷彿する。

JR代行バスを降り息子とともに雄大な景色を楽しみながら、吉田地区の長瀞ガーデンの北に隣接する中條沢に向かった。何事において程よいことが肝心だが、国道6号線から夜討坂に至る道も、独歩の描いた武蔵野の風情同様に「程よい田舎情緒」に満ち溢れたものであり、人々に癒しをもたらすものである。採石場の南に隣接する沢に沿って墓地を右手に見ながら行くと間もなく登山道の入口である。ここから沢沿いに二三百メートルほど行くと、いよいよ山道となる。



伊具郡誌によると戦国時代に伊達と相馬に交戦があった際伊達側が相馬側の藤田城(現角田市)に夜襲を掛け、攻略した際に使われたのが命名の由来とされる。山道に入ってからは極端に道幅が狭く勾配も非常に急になる。息子とともに息を切らしながら急坂を登ったが、戦国期のルートが現在のものとさほど変わらないと仮定するならば、雨や雪が降ってぬかるんだ際には騎馬武者が坂を登るのは相当困難と感じた。



夜討坂は角田城に陣を張った伊達が、相馬に攻勢を掛けるために、亘理城方面からの援軍を送るために切り拓かれた道とも解釈できるのではないだろうか?阿武隈山地の尾根道(夜討坂との辻)に近づくにつれ、勾配が徐々にゆるくなってゆく。辻に達する少し手前には「山神」の祠が立っている。



祠の前の緩い坂を登りきったところに辻があり、そこに「夜討坂」の看板が掲げられている。河北新報社発刊の『みやぎの峠』によると大正6年の『亘理郡史』に夜討坂のことが書いてあるという。それによると「夜討峠、坂津田區にあり亘理郡吉田村及び亘理町に通ずる山道にして人馬の交通甚だ不便である。元荒浜港より魚類其の他海産物を角田町及び伊達郡地方へ移出す要路であったが、割山新道開通後は殆ど廃道に属している。往時、伊達相馬氏交戦のありし当時、夜襲を以ってこの名ありと言う」となっている。この中の相馬への夜襲については伊具郡誌との一致を見るものである。
夜討坂について近所の年配のかたに聞いたところ、峠は割山峠(亘理町消防署地点と角田市を繋ぐ峠)開通(明治15年)以降も昭和の中頃まで使われていたとのことであった。
資材を運ぶのには馬も使われたというが、急勾配と畦道並みの道幅では馬をひいて通るのが精一杯だったのではないだろうか。陸運としての効率はともかく、いずれにしてもこの峠が藩政時代から昭和中期にかけて、交易に使われたのは間違いないようである。
ちなみにこの峠道には、現在樹木が繁茂していて眺望はほとんど効かないが、古くは遠くまで眺望が開けたという。『風土記御用書出』には「夜討峠 長六丁八間 東ハ亘理郡亘理町西ハ当郡角田町江之通路」とされ、「東ハ鳥ノ海 南は相馬領羽黒山 西ハ蔵王嶽 北ハ金花山(金華山)」とその大眺望が述べられているとのことである。私はその眺望を息子とともに辻から分岐している太平洋側の展望台へと向かった。古くから言われてきた眺望を確認するためである。



あいにく春霞が掛って牡鹿半島への遠望こそ効かなかったものの、東には太平洋の大海原が開け、北には広大な仙台が望める。

旧道にはロマンがある。旧道に佇み、目を閉じて在りし日の昔人の想いに浸れば、かすかに遠い日の喜怒哀楽が瞼に浮かび上がってくる。今でも目を閉じると甲冑を纏ったもののふどもが汗だくとなって、荒い息づかいで坂を登って行くような気がする。或いは行き交う百姓や商人たちのたくましい商魂が伝わってくるような気がする。私は悠久の時の流れに己の身を委ねるような不思議な感覚に襲われ、興奮覚め止まぬまま帰路についた。

コメント

No title

ミック様へ
夜討ち坂と言われている所ですが。これこそ行って見ないと判らない。歩いてみないとその苦労が判らない。総勢どのくらいの武者が移動したかは判りませんが。人が多ければ峠であっても相手方にその動きが判ってしまうと思うのです。ですから声も潜めてこの道をひたすら登ったのではと考えます。とにかく移動しているのが相手方に知られてしまえばそれこそ命取りになります。灯りなども最低限にして行ったのではと思うのです。恐怖との戦いでもあったのではと考えます。勉強になりました。ナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんにちは

執筆 お疲れ様でした。
穏やかなミックさんの心境が伝わって参りました。
この峠を 息子さんと歩かれたと言う満足感も
影響しているのではないかと想像しました。
もっと 怖い武将の行き来で作品になさるのかと思っていたからです。

この道は伊達家の戦略的に重要な道であるとともに
近世に入り 海のものを内陸に短時間で運ぶという
大事な役目を持った道だったかもしれませんね。

旧道 古道あるきはなかなかできないですが
歩けば先人の声や息づかいは感じることが出来ますよね。
素敵な作品を有り難うございます。

URL | つや姫日記 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 不あがりさん
歴史エッセイ執筆は常にモチベーション低下との戦いにごさいます。如何にモチベーションをキープできるかは、如何に往時の人物に成り切れるかどうかに掛っております。そのためには通常の感覚は捨て去らなければなりません。但しひと目などは一切気にすることなく、形振り構わずがむしゃらに貪欲に、彼らに迫ることが肝要と心得ます。

某の先祖が、どうやら伊達に仕えた武士(下級)だったことが判明し、モチベーションが大幅に上がったのは大変意義のあることと自覚しております。

本日の貴兄の考察は当に机上の理論とは逆であり、実践的な高察と察しております。支倉常長を始め、某がここまで歴史ものに取り組んできたことを振り返るに、貴兄の励ましがどれほど大きかったか計り知れないものがごさいます。本日もご厚誼を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

歴史ロマンの現場を訪ねるにあたって、ご子息を伴われたことが、このエッセイの一つのポイントでもあると思います…。。。表立っては出てきませんが、ご子息の受けた感銘も大きな意味を持つのでしようね…。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> つや姫さん
今の某の筆力ではこのへんが限界と察しております。「もっと才能が欲しい。才能が手に入れば寿命を縮めてもいい。悪魔に魂を売ってもいい。」とは某の尊敬する志賀直哉の昭和30年のインタビューの言葉にごさいますが、今の某もそう思っています。(笑)

如何に俗から離れるか、自家製タイムトンネルの中に身を置くかを日々模索する某にごさいますが、姫の励ましは大きなプラスベクトルとなっております。ブログをどう使うかは人それぞれに託されていますが、某は絶対に独り相撲は取れない。ゆえに読者様のアクションを己の糧として奮闘しています。

こちらこそ大変感謝しております。姫にお計らいにより、本日も格別なる御厚誼を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> boubouさん
息子は中国史には興味があるようですが、日本史はいま一つのようです。但しそれは数十年後に変わる可能性があると受け止めております。それは彼が某の曽祖父(息子から見れば高祖父)に興味を示したことにごさいます。

俗に「血は争えない」と申しますが、某と息子の今の関係にもその法則は当てはまるように感じます。彼には私が死んでからそれを悟ってもらえばいいと捉えております。

貴兄に於かれましては、本日もご厚誼を賜りました。コメントを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
息子様と訪れた夜討坂、実際にその場まで行かれ
その名残や書物からも多くのイメージが浮かんだ事と思います。
相馬への夜襲にみならず、この峠坂は昭和の中頃まで
多くの方達にも大切な場所だったのですね。
旧道のロマン、写真と共に楽しませて頂きました。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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おばんです。
文献を調べ、その地を実際に訪れてエッセイにされることは素晴らしい事だと思います。

夜討坂・・・・夜襲をかけるために使われた道、そして資材を運ぶために最近まで使われていたようですが、実際に訪れるとこの道を使った人々の様子を肌で感じられたのではないでしょうか。
それをミックさんの視点でエッセイにされる、凄いことだと思います。
素晴らしいエッセイをありがとうございます。

URL | やまめ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> joeyrockさん
こうして現地を訪れることが執筆意欲に繋がるわけですが、昔の地図や航空写真があればもっとイメージが湧くと受け止めております。ブロ友様の中にはそうしたアプリをスマホに導入されようとしているかたも居られいい刺激を受けています。やはりブログから得られる情報は大きいと感じております。

今は長閑な環境の夜討坂ですが、戦国期には大変な緊張感(待ち伏せなども十分に在り得るシチュエーションゆえ)を持って武者たちが峠を越えていたわけで、彼らに成りきるにはイマジネーションを大きく膨らませなければなりません。そしてそれがかない微かに朧気に往時が見えたときに大きな感動がごさいます。

joeyさんのお計らいにより、本日も格別なる御厚誼を賜りました。いつも暖かいご配慮を頂き大変感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> やまめさん
夜討坂はマイナーで地元のかたすら名前も知らないかたが多いようです。自分がスポットを当てなければその存在も薄らぐ可能性がある。この危機感が今回の執筆のモチベーションを支えてくれたような気が致しております。

戦国期の武者もですが、大量の物質を運ぶのは水運と相場が決まっていた藩政時代、この峠を通って隣町に物資を運んだ農民や商人にも興味を引かれました。自分なりの考察を入れて初めてエッセイとなるのであって、これがないとただの郷土史書になってしまう。このあたりはいつも重視する部分にごさいます。

貴兄のお計らいにより本日も暖かいお心遣いを頂戴し感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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参考文献を読み、地元の年配者に聞き取りして・・
当時の様子をより忠実に理解したいと言うミックさんの至誠が伝わってきます。
峠からの眺め、地震やその他の理由により、昔と全く同じとは行かないまでも、同様の景色で癒されたことに、ロマンを感じますね。

URL | 布遊~~☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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> 布遊~~☆さん
これは宿命にごさいますが、歴史もの執筆時は常にモチベーション低下と格闘に及んでおります。ブログ掲載をモチベーション低下の特効薬と考える某ですが、やはりブロ友様の暖かいお志が大きな追い風になります。

同時にエッセイであるからには史実の積み重ねのみでなく、想像を含んだ私見も入れなけばなりません。現地取材で土地の古老のお話を聞くと、ほとんどのかたが生き生きとした表情をなされます。やはり歴史考察は机上の理論であってはならないし、その土地柄を己の肌で感じるという意味で現地取材の重要性を感じています。

ご自身にはいつもありがたいお言葉を頂戴し大変感謝しております。本日も格別なる御厚誼を賜りました。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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