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 息子との墓参り
昨日息子と墓参りに行った。私のルーツは石巻である。車で菩提寺がある門ノ脇地区を訪ね、彼岸には少し早かったが、先祖には息子の大学進学を報告した。志を新たにする息子にはあらゆる努力を惜しまずに、尽力したいと思っている。私はそれが幼少時に祖父母から受けた深い恩愛に応えるすべと受け止めている。

ここは老舗の醤油製造工場の「山形屋」である。

息子と墓参りに行ったのは一昨年の盆以来となる。その間に試練はあったものの、息子は着実に大人に近づきつつある。

この後日和山に行った。あいにくの天気であったが外国の視察と見られるグループ(鳥居の右)が来ていた。

これは伊達政宗の命により、北上川を石巻まで開削した川村孫兵衛の銅像である。
川村孫兵衛(1575~1648)
天正三年長州(山口県)に生まれる。毛利家に仕え、二十代前半、伊達政宗に抱えられ家臣となる。治山治水に優れた技術を発揮、政宗の命令で北上川改修工事の責任者となる。工事は1616~1626に至り、工事費捻出のため自ら借財に及ぶ。工事現場に泊まり込むなどして労苦を重ねる。この大改修により石巻から盛岡に至る舟運が開かれ、葛西家滅亡後寒村に過ぎなかった石巻は一躍米の集散地となる。河口周辺には仙台、盛岡、一関、八戸各藩の米蔵が立ち並び、江戸へ米を運ぶ千石船が往来し繁栄を極めた。この治水に伴って北上川流域では三十三万石余の新田開発も行われた。工事完成後は石巻に永住し73年の生涯を終える。
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川村孫兵衛の銅像に見入る息子。親戚の話をまとめると、私の祖父方の先祖は川村孫兵衛に関係した人物で江戸時代初期の頃の先祖は掘削に携わった人足?との言い伝えがある。その後、江戸後期の下級武士を経て、明治維新後は士族授産で大街道開拓事業に従事した人物(高祖父、曽祖父の頃)であったとのことである。息子にルーツにまつわる話をすると、興味深そうに聞き入っていた。

詩人の高村光太郎が昭和6年に石巻を訪れた際、この川が人工で掘られたことに驚嘆し、「昔の奴はすさまじい」との言葉を残している。さすれば、そのすさまじい奴の頭領こそがこの川村孫兵衛その人である。中瀬は依然として殺風景だが、右岸にはマンションも新築され、復興の兆しが感じられた。

これは門ノ脇地区に建築中のマンションである。5年前には津波で壊滅的な被害を受け、火災も発生した地域である。

日和山には松尾芭蕉と曽良の像もある。芭蕉が石巻を訪れたのは1689年の初夏の頃であった。息子には吉田松蔭や石川啄木、宮沢賢治らが石巻に来たことも教えた。

日和山を離れた後で大街道の北京大飯店を訪れた。あれは息子が小学校一年生ととき、家族でサンファン館を訪れたことがあった。その帰り道に寄ったのがこの店であった。私は肉固揚げ焼きそばを頼んだ。

息子が頼んだのは五目固揚げ焼きそばである。幼い頃は食が細くて心配した息子であるが、今はすっかり一人前の男の食べっぷりである。

息子とは休み中にゴルフ(本コース)に行く約束をした。私は今からそれを楽しみにしている。
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