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私のルーツ石巻市横町界隈の藩政期
ここは震災前の2010年5月に撮影した私の生家のあった宮城県石巻市横町(現:千石町)である。(北側に向かって撮影)私の曾祖母Mがこの町に住んだのは明治初期~大正後期のことと推測される。子供の居ない曾祖母の養子に入ったのが私の祖父である。

ここで興味深いことはこの横町に昔は水運用の堀があったという話である。私が生まれたころには埋め立てられ、往時を偲ぶ面影さえなかったので、初めて聞いたときは信じられなかった。

私はここ数年に渡って自分のルーツを調べてきた。寺の過去帳ではとっくに限界に達したため、存命する父方の親戚とも会い、伝え聞くことを根拠に家系図を作成し、朧気ながら自分のルーツの全体像が掴めてきた気がしている。

但し、親戚からの情報も限界に達したため、これ以上は郷土史関係の文献や郷土史家との出会いに依るしかないと感じている。昨年の秋のことであったが、私は或る文献に出会うことで、更なるルーツ調べへの大きな足がかりを掴んだ。その文献は『石巻地方の史談と異聞』(紫桃正隆著)である。

私の家系図を御覧頂きたい。紫がミック、赤がルーツ調べへの大きな鍵を握る曾祖母である。


石巻市の蛇田町と聞けば多くのかたは仙石線の蛇田駅界隈(旧蛇田村・大街道、水押方面)を想像するかたが多いと思われるが、紫桃氏によると藩政期に於ける蛇田町とは現在のの旭町を指しているとのことである。(混乱を避けるため、以下旭町で統一)

藩政時代の旭町は一関街道に向かう石巻の駅場(隣町住吉町の米蔵や千石船での遠距離水運に関わった人々の宿やその陸路の荷役に携わる人馬が必定)として賑わった。但し、この伝馬仕事(第八車や馬車での荷役)は力仕事であり、体力的に町場育ちの者には勤まらなかったため、近隣の蛇田村(現大街道方面)から百姓を募り住まわせ、その仕事に専従させたということである。

実はその旭町と隣り合うのが私の生家のあった横町(現:千石町)である。ゆえに、生家と目と鼻の先にある旭町(旧:蛇田町)を知ることが、曾祖母M(1855~1925)の住んだ頃の横町を解明するうえで、大きな手がかりとなると踏んだのである。
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※『石巻地方の史談と異聞』(紫桃正隆著)104ページより転用
紫桃氏によると現在石巻図書館に保管されている蛇田町の絵図(下図)は江戸時代末期のものとのことであった。旭町から横町に向かって堀が流れていることが確認できる。

これは現代の航空写真だが、江戸時代末期の絵図と比べるために北と南を反転させている。赤で囲んだ部分が絵図に該当すると思われる地域(現:旭町)である。その上方に位置するのが生家のあった横町(現:千石町)である。

横町は宿駅的な性格の旭町と違って商店が並んでいたと推測される。(水運貿易で富を築いた観慶丸という商社も昔は横町にあった所以)
尚、曾祖母の母の高祖母のRと思しき者は石巻の歴史書にも登場している。


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