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寄らば大樹の陰という言葉がある。組織人としてスマートに生きるのはこのスタンスがもっとも手っ取り早いのかも知れない。サラリーマンになったからには順調に出世をして、それなりの暮らしができれば…。多くの御仁がそう考えていることだろう。但し、この生き方を貫くと一方で自分を殺さねばならない。即ち、漱石の言う「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。云々」である。家族を養うために魂を売ってまで、宮仕えに徹する。出世のために自我を捨て、企業の飼い犬となる。当らず障らず、何事も無難に…こうしたスタンスが我が国の代表的なサラリーマン像でないだろうか?では、この路線に乗れなかった御仁はどうなるのか?本日はこのあたりについて述べたい。

備えあれば憂いなし。戦国時代に於ける弱肉強食の図式を見るに及ばず、小(個人)は大(組織)にかなう訳がないと思っている方でも、いざというときに備え武装するべきであると私は考える。流されたくないと思うのであれば、丸腰であってはならないのである。言葉を換えるならば懐刀である。社会の藻屑となって消え去ろうとしたとき、私は武士道の精神を取り入れることでサラリーマンとして生き残ってきた。武士道の礎になるのが儒教である。一部に儒教を宗教とする考えもあるようだが、我が国の倫理観の多くは封建時代に於ける武士の儒教思想(礼節、仁愛、信義、忠恕)に端を発していると私は考えている。

こうしたことを踏まえ、私は己の背筋を正す意味で論語を学んだ。但し、これだけでは不十分なような気がする。即ち、兵法に「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉がある。確かに論語は己の心の乱れを防ぎ、客観視(悟りの境地)に導いてくれる特効薬であるが、兵法で言う「彼を知り」ということについては大いに物足りないのである。

そこで私は組織を経営し、管理しようとする側の一つの理念(あくまで参考)とされる君主論(マキャベリ)について学んだ。今回相馬市図書館から借りた君主論に関する本は二冊目である。マキャベリの語録には実践哲学が多く含まれている。この本の中では「歴史は我々の行為の導き手である。」、「組織を維持するための策なら専制君主的、独裁的理論も正統化される」という言葉が特に印象に残った。

マキャベリーの「君主論」は新たな研究テーマとして私のブログの書庫の一つとして独立させたいと思っている。

一部のブロガー様へ
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