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Hino National de Portugal
※祖父の供養の記事にこの曲(Hino National de Porutugal(ポルトガル国歌))をリンクした理由は何卒下記の歌詞を参照して頂きたいと思う。私はつまらない人物であるが、先祖だけは誇れるものがある。その最たるものが私の祖父である。今の私の不屈の精神はここから生まれると言っても言い過ぎでない。私にとっての偉大なる先祖とは祖父に他ならないのである。本日は祖父への限りない畏敬を込めてこの曲を聴き、自分の心に在りし日の祖父を思い出している。

Hino National de Porutugal和訳
海の勇者、気高き人々。勇敢で永遠なる国、今こそ再び立ち上がれ。ポルトガルに栄光を! 

追憶の霧の彼方から、おお祖国よその声を聞け。 

偉大なる祖先の声を聞け。汝に勝利をもたらすその声を。 

<コーラス> 

武器を持て、武器を持て!陸に海に繰り出せ!祖国の戦いのために。 

砲撃をかいくぐって進め、進め! 

 祖父の五十回忌を偲んで
祖父が死んでから本日でちょうど49年になる。従って法事で言えば五十回忌となる。私は親族を集めて法事を開けないせめてもの罪滅ぼしに故郷石巻に向かった。

ここはちょうど三年前にサンファン館が再オープンした際のセレモニーとして伊達武者行列が行われた通りの目抜き通り、立町である。かつてはアーケードが掛けられていたが、震災後に取り払われ、一見すると別な町のようだが、間違いなく立町である。
※※※※※※※
・もの心ついたばかりのころ、祖母に連れられて丸光デパートを訪ね、ソフトクリームをご馳走になった思い出。
・少年の日の川開きの日(毎年8月1日、2日)に見た元軍人さんから受けた戦争の悲惨さ。(片足を失った軍人さんがアーケードの下で、憂いに満ちた表情でアコーディオンを弾いておられた姿は今でも私の瞼に深く焼きついている)
・父が亡くなる年の夏休みに祖父母とともに一泊二日の金華山(牡鹿半島先端に浮かぶ信仰と観光の島)旅行の際に、二人揃ってバスに乗った私を出迎えてくれたのがこの通りの先にある観慶丸瀬戸物店の前だったこと。(自叙伝『祖父からのメッセージ』はヤフーHPから「KR500レプリカの部屋 祖父からのメッセージ」でヒット可能)
・一昨年の11月3日に伊達武者に成りきってこの通りを練り歩いたこと…(ヤフーHPから「KR500レプリカの部屋 故郷石巻の復興を願い伊達武者に成りきる」でヒット可能

私は今まで石巻に関する数々の思い出をブログに表してきたが、石巻全体の中でも立町に関する記事は非常に多い。但し、祖父母から一回たりとも怒られた記憶がない。幼い日に受けた溢れ出んばかりの祖父母からの恩愛、いつも石巻に足を運ぶとこれだけで私は何か泣けてくるような思いに駆られるのである。

※祖父の供養のため、石巻市立町を行くミック

私の家の菩提寺は北上川河口近くの門脇にあるが、津波で壊滅的な被害を受け、昨今は宅地が再造成され、大規模な土木工事が行われている。

話を祖父のことに戻したい。花とともに墓前には昨年同様に酒を供えた。とにかく祖父は酒の好きな人だった。家族の食事が終わってからも祖父の晩酌は私が寝付いた後までも続いていたような記憶がある。以前、菓子店を営む生家の土地の一部を売ったという話を聞いたことがある。

私の家系図をご覧頂きたい。(「KR500レプリカの部屋 私の先祖は仙台藩士和田氏?」で詳細を閲覧可能)
青:祖父
橙:祖母
紫:ミック
赤:曾祖母

私の曾祖母に子供が居ない(長男は夭折)ために養子に入った祖父は三人の子供を育てるのに相当苦労したはずである。菓子店を営む前には運送業も営んでいたこともあったと伝え聞いているが、往時の陸運の主体はまだ馬車だった時代であったと察している。これについては従軍経験(祖父は軍人であった)時の乗馬がものを言ったと受け止めている。

次に私が向かったのは住吉町の大島神社である。津波の被害で痛めつけられた松が痛々しいが、張り出した松の木の下に座布団一枚ほどの大きさの巻石が見られたのは幸運であった。(満潮と重なると水面下に隠れることが多い)

大島神社の裏手にある小高い丘から生家のあった辺りを望んでみた。私の生家は志賀直哉の生家と約250メートルくらいしか離れていない。この近辺に住んでいる知人と会い、いつものように郷土史談義に花を咲かせた。

祖父に対する供養の最後は中町の「まきいし」訪問である。

釜飯とともに頼んだのは祖父の好物だった日本酒である。今では日本酒党、ウイスキー党を自認する私だが、これに対して大きな影響を受けたのが五十五を過ぎてからの武士道修得である。祝儀の席で、初顔合わせの席で、固めの席で、時には戦場の陣中で、武士は酒を飲まねばならない。

下級武士の血を引く祖父は次男だったゆえに養蚕業を営む曾祖母のところに養子に出された。そして稼業に勤しみ、養子に入った先の家に繁栄をもたらし、三人の子供を立派に育て上げ一代で一族を立て直した。今の私はそうした祖父の血の滲むような尽力があったからこそ生かされているに違いないと受け止めている。

私は昼酒をあおり、壮年期に於ける祖父への思慕に駆られた。時として逃げ出したいこともあったことだろう。或いは、養子という身の上が嫌になったこともあったことだろう。但し、武士の血を引く祖父は強靭な精神力でそれを耐え忍んで一家没落の窮地をしのいだ。私はそう思うといつの間にか胸が熱くなるのを感じた。

蛎飯にはひじきや枝豆も入ってとても美味しかった。こうした場面では今自分が生かされていることに感謝しなけらばならない。

酒はもちろん地元宮城の酒である。登米郡石越町は藩祖・伊達政宗公の新田開発(北上川治水)によって米どころとなった土地柄である。

私は祖母とともに祖父を深く敬愛している。祖父は寡黙な人物であったが、その背中で「人間は鷹揚に、磊落に、そして誇り高く生きなければならない」というメッセージを私に残して世を去った。私は祖父のその思いを有難く受け止め、これからの人生の糧としていく所存である。
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