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 John Coltrane - Equinox (Original) 
世に「中庸は美徳」という言葉がある。自分はその意味を若い時、理解できなかった。しかしながら50を過ぎ人生の辛酸を舐め、己の大きさが如何ほどであるかを悟ったとき、この言葉の持つ意味の奥深さがひしひしと感じられてきたのである。だが人生は後戻りできない。身の程知らずの自分が中途半端な生き方をすれば、これに畳み掛けてくる者は多かった。然らば、とことん彼らに抗うしかなかった。抗うには懐刀が不可欠。その懐刀が儒教の修得であり、未熟な奴らの僅かな隙をつくのが自分の戦法だった。人間関係に於ける口の利き方は難しい。

奴らが口の利き方を学ぶ前に徹底的に叩く。「お前らは口の利き方がなってない!」これを高らかに唱えるのは勇気のいることである。そうした自分の背後には2007年以降のパワハラによる自殺者の急増で俄かに芽生えてきた社会風潮があった。だから自分は必ず権力に勝てるという確信があった。こうしたやりかたで私は定年を勝ち取った。戦いが終わって今は何も虚勢を張る必要など全くないのだが、未だにあの時の「殺るか、殺られるか」の緊張感が甦ってくるのである。

このJAZZを聴いていると中庸の大切さを感ずるが、中庸は均衡が取れて初めて成立するものであり、これが成り立たなければ、己の進退を懸けて自ら打って出る必要がある。権力に潰されないということは並大抵のことではない。下手をすると戦う前に追い込まれて自滅に至るケースも少なくない。これは数年前の私がもっとも避けなければいけない状況だった。今自分がどんな位置にあるのかを探り、攻めるべき時かそれとも待つべき時なのかを考察し、的確な対応を取る。自分の定年前の数年において、そのことを考えない日は一日とてなかった。それがこの記事で言うところの「殺るか、殺られるか」の真意である。これには孫子の兵法が多いに役立った。
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今年も泣いても笑っても三週間となった。こんな性格だから、どんな企業に行っても自分は敵を作る。だが自分はそれでもいいと思っている。中庸は確かに良好な人間関係を築く上で重要な要素だが、中庸に走りすぎれば流されかねない。もっとはっきり言おう。私の辞書に「風見鶏という文字はない」のである。

横町挨拶
今の自分の心境を言えばつかず離れずにございます。完全リタイヤに達するまでこうした悩みは尽きないと覚悟していますが、長い、短いの基準を以って自分は組織に流されたくない。即ち、長いものには巻かれたくないということです。やはり自分は従順な羊よりも風当たりの強い一匹狼で結構。本日はそんな心情を記事に綴りました。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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