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 Vatican National Anthem 
※リンク曲「ヴァチカン市国国歌」解説
本日2015年11月3日は伊達政宗が欧州に派遣した支倉常長がローマ法王(パウロ5世)と謁見を果たしてからちょうど400年目にあたる日である。4世紀も前に、伊達政宗名代として二つの大海を渡り、様々な困難に負けることなく、強靭な精神力をもってこの偉業を達成した支倉には改めて敬意を表したい。

この国歌はもちろん支倉がローマを訪れた頃は作られていない。但し、ローマ法王が支倉と謁見に及んだヴァチカン宮殿やローマ法王、近衛兵の様子などは400年を経た今でもさほど、変わってないはずである。曲は如何にもカトリック総本山の国を思わせる極めて荘厳極まるものゆえ、敢えてリンクに及んだ次第である。
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一昨年の今ころ、支倉常長の小説を書いた私だが、一心に使命を全うしようとした支倉の偉業は今だに色褪せないものである。支倉のことを思うとき、今でも心が熱くなることがある。時として、彼が私の心の中に生きているような錯覚にとらわれるのである。

私は今年の1月30日に、友人とともに石巻市のサンファン館を訪ね、イスパニアのフェリペ国王と謁見を果たした支倉をともに祝ったが、ほぼ9ヶ月を経て、今度はローマ法王謁見という使節団にとって最大とも言える偉業達成四百年記念に再び胸を高鳴らせている。

1615年1月30日にマドリードでフェリペ3世と謁見を果たした使節団の足跡を地図でたどって頂きたい。

・1615年1月30日 支倉常長、フェリペ3世と謁見を果たす。
・同年2月27日 王立洗足会女子修道院付属教会で支倉が洗礼を受ける。
 洗礼名:ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ
・同年8月22日 使節団、マドリードを出発
・同年9月5日 バロセロナ到着
・同年10月11日 ジェノバ着
・同年10月18日 チビィア・ヴェッキア着
・同年10月25日 ローマのキリナーレ宮で支倉とソテロが法王に非公式に謁見
・同年10月29日 ローマで入市式が行われる。(法王立会い)
・同年11月3日 午後3時頃パウロ5世との正式謁見がかなう。

※松島蝋人形館展示より。それにしても精巧に作られた人形である。キリナーレ宮での支倉とソテロの仮謁見もこんな感じだったのではないだろうか?

支倉が仙台に持ち帰ったローマ法王肖像画はキリシタン弾圧のため、長い間しまったままであったが、一昨年ユネスコ登録(世界遺産登録)となっている。如何にも法王らしく慈みと品格に満ち溢れた顔である。

これは1615年10月29日に行われたローマ入市式のルートである。(河北新聞社資料より)

   鶴岡孝夫画「支倉常長 ローマ入市式」

ヴァチカン宮殿に於ける入市式想像図(石巻市サンファン館展示物より)

ローマ法王パウロ5世との謁見に望む支倉常長(石巻市サンファン館上映「夢の果てまでも」より)
侍はどんな局面にあっても、物怖じしてはならないし表情を変えてはならない。もちろん相手が国王だろうが法王だろうが同じである。ゆえに、支倉の毅然とした表情は感動を呼ぶ。

シピオーネ・アマチ「伊達政宗遣史録」におけるローマ法王謁見の画
手前の刀を差した人物が支倉、向こう側の人物が使節団正使ルイス・ソテロと見られる。

鶴岡孝夫画「謁見の絵」

これは支倉の接待役を務めたボルゲーゼ家に伝わる「支倉常長像」である。クロード・ドゥール画による支倉像は、如何にも貴族に列せられた彼に相応しく威厳に満ちたものである。

本日は使節団の、そして支倉常長の偉業を心より祝し、シャンパンで乾杯する所存である。(職務上も赴任地・亘理町にて)

※日本時間ではあるが、本記事の更新時刻は謁見が行われた四百年前に倣い午後3時とした。400年前の支倉も恐らくこのような近衛兵を見たのではないだろうか?
Hino Pontificio
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