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 現代人は二宮尊徳から何を学ぶべきか?
昨日の土曜日、私は或る文化講演会に出席するため、相馬市の中央公民館に向かった。ここは野馬追に於いて騎馬行列が通る馬陵通である。写真のほぼ中央に位置するのが中村城跡(馬陵城)である。従ってこのあたりは藩政時代は侍屋敷があった場所である。

馬陵通を会場に向かう私



同じく馬陵通。中村城内堀前から会場となった中央公民館(ほぼ中央の三角屋根の建物)を望んだアングルである。



以前も記事で紹介した二宮尊徳(金次郎)像である。農民から士族に取り立てられた彼だが、鋭い目つきと厳格な表情から彼の人となりが窺えるものである。全身から人々を圧倒するようなポジティブなスタンスが溢れ出ている。私はこの像からそのような印象を受けた。



相馬と言えば二宮仕法が行き届いた地域である。この日はざっと見て60~70名のかたが受講された。年代は60代から80代が多いようである。



初めに主催者(相馬市教育委員会、相馬郷土研究会、一般社団法人相馬報徳社)から挨拶があった。司会進行は相馬郷土研究会副会長の猪刈氏である。



本日の講演会の講師は大藤修氏である。



大藤氏は東北大学名誉教授である。来歴はWikipediaでヒットするほど著名なかたで、紹介者によると二宮尊徳に関する著作も多数あるとのことであった。
※約1.5倍に拡大可能



講義内容である。如何にも学者らしい詳細に渡る分析と考察は聞き応え十分である。



二宮尊徳は生前一度も相馬を訪れたことがなかった。なのに何故相馬に二宮仕法が広まったのか?それは多くの後継者(弟子)による伝承と研究があったからである。もちろん相馬藩主自らがこれを受け入れ、君民が一体となって飢饉で疲弊した相馬の危機脱出を真剣に考えた由縁でもある。

二宮仕法(興国安民法とも御仕法とも呼ばれる)の四つの柱が
①至誠②勤労③分度④推譲である。このうち至誠と勤労はよく言われることであるが、分度と推譲にも視点を広げたところにこの仕法の素晴らしさがある。



一説に二宮仕法は600の村を救った(現在ではアフリカの一部にも思想が波及)とも言われるが、欠点がないわけではない。

即ち、分度は領主や富裕者、民衆とそれぞれの立場で適用が異なるものになる。経済的に余裕のある者にこれを当てはめるならば、当然のことながら領主や富裕者の軋轢が予想される内容でもある。大藤氏からはそのあたりのことも説明があった。



昨今、こうした講座に臨む目的として、自分の創作活動へのモチベーション向上を意識することが多くなった気がしているが、その期待を十分に満足させる昨日の文化講演会であった。
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