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本日は今年初めて熱燗を飲んだ。否飲んだというよりも今も飲んでいる。今宵は今宵の己の心情を中国の詩人の力を借りて皆さんに表したい。ところで私の冬場の暖房と言えば電気ストーブ(800W)1台である。但し、これは一家揃ってという意味ではない。私一人ならどんなに寒くてもこの電気ストーブで間に合うという意味である。

これは定年前の一年半宮城県南部の亘理町に単身赴任してから、習慣となったことである。電気ストーブ1台で冬場を乗り切ったことには、或る事情があった。それは車がなく、灯油の入手が物理的に困難だったことである。電気ストーブ暖房に対応する為、亘理のアパートでは外部に面する開口部にエンボスの保温ビニールを貼った。これは太陽光に見舞われる日中において大きな効果があったが、その恩恵に預かったのは休日のみであった。

そんな状況下で心掛けたのは自分の身体の基礎代謝を揚げることである。これはウォーキングと自転車を通勤に取り入れることで、うまく行った気がする。それと冬場の寒稽古(薄着でのウォーキング、ゴルフ練習など)もこれに一役買った。宮城県では比較的に気候が温暖な亘理町の居住は自分に試練も与えたが、心身を鍛える大きな契機ともなった。これには大変感謝している。

さて、本日の宮城県の最高気温は5度、最低気温は0度であった。これくらいはまだまだ序の口だが、熱燗の恋しくなるシチュエーションである。本日燗酒として嗜んだ酒は埼玉清酒の「蔵そだち」である。

ややわかり難いが、猪口に僅かに湯気が立っているのがおわかり頂けるだろうか?

私は燗酒を嗜むとき、決まって中国の或る詩人のことを思い浮かべる。その名は白楽天である。

以下Wikipediaを基に横町が編集
中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれる。子どもの頃から頭脳明晰と言われ、56歳で詩を作り、9歳で声律を覚えたとされる。 抜群の名家ではないものの、800年、29歳で科挙の進士科に合格する。35歳で盩厔県(ちゅうちつけん、陝西省)の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。

815年、武元衡暗殺をめぐり江州(現江西省九江市)の司馬に左遷。その後、中央に呼び戻されるが、まもなく自ら地方の官を願い出て、杭州・蘇州の刺史となり業績をあげる。838年に刑部侍郎、836年に太子少傅となり、最後は842年に刑部尚書の官をもって71歳で致仕。74歳のとき自らの詩文集『白氏文集』75巻を完成させ、翌846年、75歳で生涯を閉じる。

白楽天は多作な詩人であり、現存する文集は71巻、詩と文の総数は約3800首と唐代の詩人の中で最多を誇り、詩の内容も多彩である。若い頃は「新楽府運動」を展開し、社会や政治の実相を批判する「諷喩詩(風諭詩)」を多作したが、江州司馬左遷後は、諷喩詩はほとんど作られなくなり、日常のささやかな喜びを主題とする「閑適詩」の制作に重点がうつるようになる。このほかに無二の親友とされる元稹や劉禹錫との応酬詩や「長恨歌」「琵琶行」の感傷詩も名高い。

卯時とは明け方(午前4時前後)のことである。白楽天が活躍した時代は明け方から酒を飲んでも何の違和感がなかった時代であった。

白楽天は卯時の酒を「内蔵を春が通り抜けるようだ」と比喩した。これは自分が熱燗を飲んだ際に感じる心情と全く重なる。少し大袈裟かも知れないが酒が食道を通過して胃袋に収まった瞬間、計り知れないような幸福感に見舞われるのである。



横町挨拶
白楽天は杜甫や李白のような世捨て人ではなく、エリートと称せられる人物でした。これだけ考えればとっつき難い気がしますが、卯時の酒を愛するなど、人間味に溢れた人物でした。ここに自分は限りない魅力を感じます。彼は酒を飲んでも、酒に飲まれなかった。この時代でこのような人物を探すのは難しい気が致します。

そろそろ冬至(今年は12月22日)も意識する時節と相成りましたが、いつ雪が降ってもおかしくない気が致します。自分は定年間際に試練を授かり、厳冬期をものともせずに乗り切って参りました。その時の教訓が今年も活かせそうです。どんなに寒くても泣き言を言わない。逆にこれを追い風とする。これはもちろん武士道の意図するものです。

今年もハングリー精神をもって、寒い冬を乗り切って参りたい所存ですが、そんな中にあって燗酒を嗜むひと時は至福極まる時間でございます。(笑)本日も最後までご覧頂きありがとうございました。

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