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 普請を何度も重ね難攻不落となった小斎城
本日は一昨日訪れた小斎城(小佐井城とも柴小屋館とも)についてレポートしたい。先ずはこの航空写真で各城(館)の位置を御覧頂きたい。
※()内:1576年夏前に於ける城の支配(約1.8倍に拡大可能)
赤:小斎城(相馬)
オレンジ:矢野目館(伊達)
黄色:金山城(相馬)
紫:丸山城(相馬)

伊達晴宗(伊達政宗祖父)によって隠遁させられた伊達稙宗(政宗の曽祖父)が1565年に丸山城で没すると相馬は一気に伊具郡を攻め落としに掛かった。その流れをハイライトで箇条書きにした。これは前回の記事「鬼越館に込められた佐藤好信の遺恨」に掲載した年表を、様々な資料(森鎮雄著「新編 奥相秘鑑」、紫桃正隆著「みやぎの戦国時代 合戦と群雄」、松本敬信「相馬の歴史」etc)を見て再度見直したものである。読者諸兄に於かれてはお気づきの点があれば遠慮なく指摘願いたい。

小斎城(紫小屋館)に関わる伊達・相馬の出来事
・1542~1548天文の乱(天文11年から同17年間に渡り伊達氏14代当主伊達稙宗と嫡男晴宗父子間で内乱が起き、稙宗(娘を相馬氏14代当主相馬顕胤に嫁がせていた)と懇意にしていた相馬氏との間に軋轢を生じる。
・1553年(天文22)伊達晴宗(伊達氏15代当主・伊達政宗祖父)が懸田城主・懸田俊宗(伊達家臣、陸奥国伊達郡懸田城主、晴宗に従わず、稙宗に加担した。)を滅ぼす。
・1564年(永禄7)相馬盛胤(相馬氏第15代当主)、嫡男義胤とともに現宮城県名取郡座流川で伊達晴宗と戦い、粟野宗国を討つ。
・1565年(永禄8)丸森城(丸山城)に幽閉されていた伊達稙宗が死去する。
・1565~1566年(永禄9)相馬盛胤、伊具郡金津(現宮城県角田市)、小佐井(現宮城県丸森町小斎・当時の城代は八替七郎兵衛)、金山城(丸森町)を攻め落とし一挙に手中に入れる。盛胤は小斎城主として藤橋紀伊を任命する。
・1570年(元亀元年)藤橋紀伊が金山城に転封され、佐藤為信が城代となる。
・1571年(元亀二年)相馬盛胤、亘理家臣・坂元大膳城主、愛宕山城を攻め落とす。
・1572年(元亀三年)坂元三河(坂元大膳嫡男)、現山元町坂元に蓑首城を築城。
・1576年(天正4)宿敵相馬に攻撃態勢を固めていた伊達晴宗、輝宗父子に対して、田村清顕(伊達政宗の舅)が和睦を呼びかけるが和解に至らず。
同年夏、矢野目館に城を構えた伊達輝宗が数百の騎馬勢をもって相馬側に攻撃を仕掛けるが、相馬側が待ち伏せ応戦し、敗走した伊達の騎馬武者の多くが泥濘にはまって身動きできなくなり討ち取られる。(伊達武者七百騎が討ち死に?)
伊達側の圧力を強く感じた藩主の相馬盛胤は即刻小斎城の堀切普請(工事)を行う。佐藤為信、相馬家老になる。
・1578年(天正6)相馬盛胤が隠居し、嫡男義胤が家督を相続。盛胤は中村城(現福島県相馬市)に入城する。
・1579年(天正7)伊達政宗、三春城主田村清顕の娘(愛姫)を娶る。
・1581年(天正9)7月矢野目館の戦い(現丸森町)が起きる。伊達政宗、父輝宗に伴い初陣に及び奮戦する。小斎城は佐藤為信が城代となる。
・1582年(天正10)5月佐藤為信謀反に及び、加番に訪れた相馬方・金沢美濃、桑折左馬介(親の仇)、門馬七兵衛、渡辺縫殿介ら百名近く?を討ち取る。同じ頃、長者の迫、冥護山、石仏などに陣を構えた伊達勢が八幡崎、黒森、小比良内などで合戦が行われる。
・1583年(天正11)早春、佐竹義重、岩城常隆、田村清顕らにより、伊達、相馬の和睦に向けた調停の働きかけが行われる。特に、田村清顕は相馬説得のため、中村城に七十数日もの間、逗留する。
・1584年(天正12)伊達父子(輝宗、政宗)と相馬義胤との間で丸山城、金山城の伊達への引渡しが和議協定として結ばれる。
・1585年(天正13)秋、安達郡宮森(岩城町)の西樵夫山の陣所で伊達政宗と相馬義胤が初対面し、お互い差刀を交換し和議を祝う。
・1586年(天正14)夏、福島の仙道筋から会津攻略を目指していた伊達の二本松城攻めに対し、相馬義胤の口利きにより開城(落城)なる。同年冬、田村清顕が急死する。
・1587年(天正15)清顕の死後、田村家は伊達派と相馬派に分裂する。
・1588年(天正16)伊達と相馬は再び抗戦状態となる。
・1590年(天正18)伊達、相馬とも豊臣秀吉の小田原攻めに参加、両藩ともかろうじて所領を安堵される。
・1591年(天正19)小斎城主・佐藤為信、藩主・伊達政宗より大崎一揆鎮圧を命ぜられ、佐沼城攻略戦に於いて甲の八幡座を打抜かれ討ち死にする。
・以後小斎は佐藤家が当主となり、代々佐藤宮内を名乗り幕末に至る。

城の西側にある物見櫓からこの細い道を経て小斎城(柴小屋城)に至る。

相馬盛胤の命令で1576年に掘られたとされる空堀は10メートル近くはありそうである。迫り来る伊達の圧力を感じて防御を固めた普請(工事)と思われる。

堀切を行った際の残土は土塁を築くのに使われたと思われる。

余湖様のブログに掲載された鳥瞰図をご覧頂きたい。(引用先を明らかにすれば転載可能を確認の上で掲載)
1:本丸
2:二の丸
A:西館
一昨日、現地取材に趣いたのとほぼ合致するもので、非常に素晴らしい出来映えの鳥瞰図である。

それにしてもアップダウンが半端でない。まるでジェットコースターのような城構えゆえ、攻略は大軍をしてもなかなか容易でないものと推測される。

陸橋は、味方のみ使えるもので、有事に於いて敵から攻められた時は取り外せるような作りであったと推察される。

鳥瞰図を見ておわかり頂けるように、二の丸はかなり広い。

なんと二の丸は東西の広がりが80メートルとのことである。

城の南側の麓には金澤大明神がある。

城主の佐藤為信は伊達に謀反を働くにあたり、親の仇である桑折佐馬介の他、縁者の金澤美濃(相馬家臣)まで討ってしまったので、美濃の霊を弔うため、金澤明神として祀っている。

東側の本丸跡には八重垣神社が祀られている。

本丸跡には明治時代に立てられた石柱もある。

拡大航空写真で改めて小斎城(右)と矢野目館(左)をご覧頂きたい。わずか600メートルの距離しかない。

小斎城側の物見櫓から見た矢野目館である。ここで敵と睨み合いに及んだ際の緊張感はまさに計り知れないものがある。

次回は2度目のレポートとなるが矢野目館についてお伝えしたい。
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コメント

No title

ミック様へ
またおかしな事を申し上げますが。これ小斎城と矢野目館は目と鼻の先ですよね。これほど近い所では夜もろくに寝られなかったのでは。生きた心地がしないのでは。お互いとにかく早く潰して仕舞いたいと願っていたのでしょうね。伊達の圧力がかなりあったかと思います。親の仇の事もあったかと思いますが。この圧力にも屈したのではと勝手な想像もしてしまいます。ナイスです。有難うございます。

URL | 不あがり ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 不あがりさん
仰せの通りにございます。矢野目館は平城ゆえ、どう考えても相馬有利、ゆえに伊達は大軍で押し寄せたに違いございません。
そうなると相馬にプレッシャーが及ぶ。恐らく為信のもとには伊達の死者が訪れ「伊達に来ないか?来れば優遇しよう。」との唆しがあったと察しております。
それに親の仇討ちが加われば寝返るのが当然と受け止めております。但し、佐藤為信には大きな誤算があった。それは敵とともに、己の縁者まで討つことになったことにごさいます。
このとき彼は悩みに悩み抜いたに違いない。某も彼の立場ならこちらを選択したような気が致しております。

貴兄に於かれましては、いつもトップバッターを切って頂き感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。

こうやって、全体の航空写真と現地写真、また鳥瞰図を用いて説明して頂けると実際の戦場の様子がよく分かりますね。それにしても小斎城の作りは本当に凄いですね。難攻不落と言われるのも分かる気がします。全て人為的に作ったものなんですかね?

URL | じん ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

こんばんは。
難攻不落と言われるだけあり、本当に写真や図面を目ているだけでも敵がたどり着き、攻める事が難しい造りだと思います。小斎城に向かい、その場面を想像すると緊張感が増しますね。
金澤大明神は縁者の金澤美濃の霊を弔うためなのですね。悲劇を感じました。

URL | joeyrock ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

ミックさん
約50年に渡る両者の攻防はすさまじいものですね。
このような城郭はやはり必要だったのですね。
攻められた時に身を守るための知恵ですね。
ナイスです。

URL | ことじ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

細かいところまで調べておられることに敬意を表します…。。。だんだんと地域の史家になられつつありますね~。。。

URL | boubou ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

この長閑な風景の過去に、長い戦争があったのですね。

こういった歴史を知るにつけ、今の平和が良いなぁって思います。こういう戦いを続けてきたからこそ、今の平和があるとも思いますが・・

URL | 布遊~~☆ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> じんさん
仰せの通りこの鳥瞰図は非常に素晴らしい出来栄えゆえ、城(館)の全容を知るに一番わかりやすいアイテムと存じます。
歴史はやはり机上に留まらず、現地を訪ね自分の足で歩くのが一番と認識しています。
この城が難攻不落とわかったのはやはり自分の足で探索に及んだからにごさいます。
貴兄に於かれましては、追い風になるお言葉を頂戴し大変感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> joeyrockさん
1576年に相馬がたによって行われたとされる大規模な堀切普請で、小斎城は大幅に守りが堅くなったという気が致しております。
その背後には伊達の圧力があったわけで、ここに両藩の只ならぬ意気込みを感じます。
金澤大明神に触れ、何か虚しいものを感じます。生き残るためには縁者も始末に及ばねばならない。往時の侍が如何に厳しいものだったのか、わかるような気が致します。

ご自身に於かれましてはいつもは格別な御厚情を賜り大変感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> ことじさん
各地の古城跡を見て参りますと、やはり防御力を上げるための必死の努力を感じます。
この城も大規模な堀切がなければ攻略はさほど難しくないはずですが、この普請によって、大幅に堅くなった気が致しております。
伊達と相馬は奥州の作法(大名同士の戦を避けるための縁組)が及ばなかった好例と捉えております。

貴兄に於かれましては、いつも格別なお引き立てを頂き大変感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> boubouさん
最初は手探り状態だった「伊達と相馬の相克」研究にごさいますが、一気にゾーンに入ってきたという実感がごさいます。
如何にのめり込み、如何にモチベーションをアップさせるか?この課題に日々取り組み、模索に及んでいる某にごさいます。(笑)

貴兄に於かれましては、いつも激励のお言葉を頂き大変感謝しております。本日はありがとうございました。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> 布遊~~☆さん
確かに今は非常にローカルな宮城県南部の伊具地方にごさいます。ここに血で塗られた歴史が存在したのはにわかには信じがたいことにごさいます。
但し、仰せの通り、その反面昨今の平和に感謝する気持ちも湧いて参ります。

ご自身に於かれましては、いつもストライクゾーンへの投球を頂き痛み入っております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

このような近距離に、4城も!・・・驚きです。
より、古くから有ったお城の城主は、新しく建築中の敵方のお城を、ただ黙って見ていたのでしょうか?
これだけの起伏が有ると、敵も攻めあぐむでしょうが、
物資の運搬も大変ですよね。
戦国時代に生まれなくて良かった・・と、バカな感想をもってしまいました。
一昨日の日記に、書くのを忘れましたが、
先頃の豪雨で、田んぼの被害はあまり無かったようで良かったです。
今、この、長閑で、豊かに実る黄金の稲の景色を見たら、当時の武士たちはどう思うのでしょう?・・・。

URL | シャーロック2013 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> シャーロックさん
ご質問の件にごさいますが、この航空写真を見た限りでは相馬優勢(城の数は3:1)ですが、なにせ相手が大藩の伊達ゆえ、援軍の数が半端なものでなかったと捉えております。
従って、阿武隈川の大湿原に築かれた平城(矢野目館)にはこれを阻止できず、やがて睨みあう状況になったと受け止めております。

この日の気温は26、7度にごさいましたが、起伏の激しい山城に入ると湿気も半端でなく、300CCの水筒はあっという間に空になり、帰路は脱水症状に陥る危惧さえ感じた探訪となりました(苦笑)また、靴は万全を期して、編み上げのヘビーデューティーブーツ(滑りとめのついた安全靴)、上着はアブや蜂に備えて長袖のジャンパー着用にごさいました。

収穫が近い田の稲を見るに、戦国時代から経てきた長い時の流れを実感します。
ご自身に於かれましてはいつもストライクゾーンへの投球を頂き痛み入っております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

おはようございます。
城跡の散策、お疲れ様です。
起伏にとんだ山歩きのような場所の散策はたいへんだったのではないでしょうか。
難攻不落と言われるだけあってアップダウンが半端じゃない城ですね。
年代別に出来事を説明していただき、城跡の様子も詳しくレポートしていただき、ありがとうございます。

URL | やまめ ID:79D/WHSg[ 編集 ]

No title

> やまめさん
マニアックな記事にお付き合い頂き痛み入っております。この城はそれにしても複雑な地形をしていると認識した次第にごさいます。
奪還しようとする伊達、そうはさせじとする相馬、この日は双方の伊具戦に賭ける気概を肌で感じて参りました。
文献のみの探求だけではとてもモチベーションキープが出来ないので、こうした現地取材を重視しております。

貴兄に於かれましては、いつも真摯なご対応を頂戴し大変感謝しております。コメント、ナイスを頂きありがとうございます。

URL | 横町利郎 ID:79D/WHSg[ 編集 ]

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