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相馬流山by小山みつな
リンク曲「相馬流山」解説
「流山」は相馬中村藩祖の故郷「流山」(今の千葉県流山市)の地名にあやかったものである。1323年、相馬重胤が従三十余人を率い、住み慣れた総を後に、奥州相馬地方に下向した際、口ずさんだものとも言われる。

一方で土地の酒造りの時にも歌われたり、鎌倉武士の間に親しまれたとも言われる。元々はの間に歌われたもので、相馬野馬追には出陣式時に歌われ、曲も歌詞も極めて格調高く、「東奥の君子国」と称される相馬中村藩の名誉を讃え、歌詞には野馬追の景観を含んだものが多く見られるものである。

本日は相馬流山の起源とも言われる奥州相馬家六代藩主相馬重胤について私の考察を加えながら掘り下げていきたい。相馬重胤が家臣とともに陸奥行方(現福島県浜通り地方小高地区)に下向してきたのは、それまでの居住地であった下総での勢力争いの末。居づらくなったとも、或いは源頼朝から賜った遠方の地である此の地が家臣の謀反や他からの侵略で奪われそうな懸念があったからとされる。

そんな折に私は相馬市立図書館で相馬に関する二冊の本を借りた。もしかして、左の「相馬重胤公ロマンの道」には相馬重胤が下総から奥州に向かったいきさつが載っているのかも知れない。そう思うと私の胸は高鳴った。自分がエッセイや小説を書きたいならば、先ずは文献などによる情報収集である。そしてその次がモチベーションを如何にして高揚させるかという点が肝要である。

相馬に関する小説は伊達のものと比較してマイナーなので文献が少ない。その中でこうした小説は殊更稀少価値があると受け止めている。

上記の二冊の他に最近借りたのがこの本「杜の坂道」である。この本は千葉県流山市の郷土史研究家である海老原実氏によって書かれた文献で、内容のほとんどは流山市を中心に書かれたものとなっている。但し、掲載された挿絵には非常に興味深いものがあった。

これは鎌倉時代の合戦を描いた挿絵だが、武士は甲冑をまとっておらず、戦国時代のものとは異なった印象を受ける。

肖像画を紹介する前に相馬家家計図を参照願いたい。平将門(黄色枠)は平家の始祖高望王の孫であるが、さらにたどれば桓武天皇に行き着くのである。
赤枠で囲んだ師胤ー重胤のラインが奥州相馬氏の始祖となる系統である。


以下Wikipedhiaより引用後筆者が編集
平将門(生年不詳~940)桓武天皇直系高望王の孫に当たる。奥州相馬氏とも血が繋がっており相馬小次郎とも言われる。下総国、常陸国現千葉県北部~茨城県南西部に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いで頭角を現し一挙に領土を拡大する。その際に国衙を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称したが東国の独立を標榜したこと朝敵となり即位後わずか二ヶ月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された

この表情は如何にも野心に溢れた将門は彼の生き様を象徴するものと言っていいのかも知れない。一方近年研究が進むに連れ彼は慈悲深い武将(愛する妻子を殺されるに及んでも、憎むべき伯父を四方取り囲まず、三方取り囲んで生かしたことや、敵対した平清盛の妻を捉えた際も逃がしてやったこと)であったとする文献も存在する。討たれてさらし首となった将門だが、このあたりに、彼は単なる猛将だったわけでないという一面を垣間見ることが出来る。

秋元由美子氏画による平将門である。


以下Wikipedhiaより引用後筆者が編集
相馬師胤(生年、没年不詳)相馬重胤の父、陸奥相馬家5代当主。惣領・相馬左衛門尉胤村の庶子である相馬彦次郎師胤は母の尼阿蓮(側室)とともに、庶兄の相馬左衛門尉胤氏と土地争いを起こし、師胤の系統は相馬家の中でも浮き上がった存在になっていったとされる。正応年間(1288~1292)に自身の所領を子の重胤に譲った。永仁年間(1293~1298)には没していたとされる。

彼は非常に謎の多い人物であるが今の奥州相馬氏の始祖であることには変わらない。このあたりは今後の研究課題と受け止めている。

秋元由美子氏画による相馬師胤である。


以下コトバンクより引用後筆者が編集
相馬重胤(~1336)陸奥相馬家6当主1323年(元亨3下総相馬郡(千葉県茨城県)から陸奥行方郡(福島県浜通り)にうつり、後に小高城を築き、奥州相馬氏の祖となる。後醍醐天皇の討幕軍に加わり所領を安堵される。以後足利方に属し、1336年(延元2年12月25日)鎌倉で北畠顕家の軍に敗れ家臣十数名とともに自害した。通称は孫五郎。 

読者の皆さんはお気づきだろうか?平将門や相馬師胤の表情は如何にも猛将らしく、かなりの吊り目であるが、彼はそうでない。彼こそは相馬流山の曲の発端となった人物に相応しい中庸を本分とした武将であったに違いない。彼は奥州相馬氏の始祖と言っていい人物であるが、自害したというのは如何にも残念である。

もちろん彼の肖像の元になる画は残っていない。ゆえに、私は彼の生き様を見事に現した秋元由美子氏の画才を絶賛したいのである。

秋元由美子氏画による相馬重胤である。

肖像によってイメージが膨らみ、一気にその人物にのめり込む。私はこの著との出会いがそうなることを心から望んでいる。
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