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伊達政宗、生き残りへの秘策
これは仙台城にある有名な伊達政宗騎馬像である。如何にも野望に生きた武将らしい鋭い眼光を投げ掛ける表情であるが、私は以前から気になる点があった。それは顔の輪郭が下膨れなことである。

最近、図書館で堂々日本史第11巻を借りた。その中の1話として「伊達政宗 生き残りのグルメ戦略」というものがあった。

晩年近くになって、絵師に両眼を入れて描かせたとされる肖像画もやはり下膨れである。仙台城の騎馬像もこの肖像画の顔の輪郭を参考にして造られたに違いない。

これは老境を迎えた彼がとった或る日の朝のご膳の再現である。何と二つの膳に分かれており、朝食としては大変豪華なものである。

これが「十五日朝」の献立である。赤貝、ふくさ汁(仙台と京都の合わせ味噌に雉肉、豆腐、青葉の茎が入った汁もの)に始まり、鮭のなれ寿司、デザートに栗と里芋(これに酒がつく)etcと非常に手の込んだものとなっている。

そして、政宗は献立を人任せにせず、自分で考えていたという。

畳二畳ほどの閑所(かんしょ)で書物を読んだり、漢詩を作ったり、執務や献立を考える伊達政宗(大河ドラマより)。

二畳の閑所は如何にも狭い気がするが却って落ち着くのかも知れない。

堂々日本史「伊達政宗 生き残りのグルメ戦略」解説は戦国史研究の第一人者と言われる小和田哲男氏である。

小和田氏によるとこうした伊達政宗のグルメ三昧の生活には或る狙いがあったという。それは幕府による大名取り潰し政策である。徳川初代家康から三代家光に至るまで取り潰された大名の数はなんと130にもなるという。その中には広島49万石の福島正則や熊本54万石の加藤忠広らの大身の大名の改易もあったという。但し、その中の大半(62パーセントの82藩)は外様大名であった。

取り潰しありきで口実は単なる名目、従って取り潰しの理由をこじつけるのに幕府は躍起になっていたのである。

一代で築いた伊達62万石(先代の伊達輝宗の頃は30万石程度の地方大名)を如何にして守るか?政宗はこのことに全神経を注いでいたのである。

江戸の仙台屋敷(現:東京都汐留)で嫡男忠宗とともに二代将軍(徳川秀忠)に御膳を差し出す政宗、これも『私は野心などこれっぽちも持ってない』という彼一流のパフォーマンスと言えるのかも知れない。

これは1630年の夏、三代将軍家光を招待したときの献立である。何と54品目にも及ぶ食材であるという。とても食べきれないものかも知れないが、如何に伊達政宗が徳川幕府に気を使っていたかがわかるものである。

酔狂を装いながらも押さえるべきところはしっかりと押さえる。このあたりが政宗の只者でないところなのかも知れない。
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