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Hino National Portuguese
ポルトガル国歌和訳
海の勇者、気高き人々。勇敢で永遠なる国、今こそ再び立ち上がれ。ポルトガルに栄光を! 

追憶の霧の彼方から、おお祖国よその声を聞け。 

偉大なる祖先の声を聞け。汝に勝利をもたらすその声を。 

<コーラス> 

武器を持て、武器を持て!陸に海に繰り出せ!祖国の戦いのために。 

砲撃をかいくぐって進め、進め! 
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故郷石巻への墓参り
9連休二日目の本日、私は故郷石巻に墓参りに行った。7月末に発表した中編小説「我が後半生と武士道」にも書いたが、私は十年前に精神病を患い、絶体絶命という時に藁にもすがる思いで石巻の先祖の墓を訪ねた。

今の私が存在するのは先祖のおかげである。私は無神論者だが先祖の恩愛だけは深く感謝している。私の人格の多くは少年時代に降り注ぐような恩愛を授かった祖父母の影響を経て形成に及んだものである。それと、2011年3月11日大震災に遭遇した時、私を救ってくれたのも先祖と考えている。

私は心から祖父母を尊敬している。ゆえに、盆、彼岸、命日、どんなことがあっても墓参りは欠かせない。幼い日々に祖父母から受けた限りない恩愛にせめてでも報いたいのである。JR石巻駅を降り、そんな私がからずっと口ずさんだ曲がこのポルトガル国歌である。但し、これはけして今回に始まったことでない。数年前の絶体絶命の大ピンチを脱出してから、墓参りの度に毎回行っていることである。

その決め手は歌詞の中にある「偉大なる祖先の声を聞け」である。今でも一大ピンチに見舞われた時は必ずそうしている。ポルトガル(リスボン)と石巻の共通点を挙げるならば、規模こそ異なるがともに中世時代から公益で栄えた港町ということになる。同国の国歌を聴くと、非常に不思議なことだがインド航路を開拓した同国の英雄キャプテン・ヴァスコダ・ガマの不屈のフロンティア精神と重なり、何らかの解決策が脳裏に浮かんでくるのである。
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本日、私は亘理の自宅を朝5時半に出た。仙台で5月末から開通した仙石ラインに乗り継いだ。この車両はディーゼル機関と電気式のハイブリットである。

仙石ラインのルートを下図で確認頂きたい。今年の5月30日に待ちに待った仙石線開通(東北本線経由)と相成った。

8時前に石巻に着いた。駅前から目抜き通りの立町を歩いた。一昨年前伊達武者行列で練り歩いた通りである。既にアーケードが撤去された立町だが、この通りには幼少期~少年期にかけて様々な想い出がある。それゆえ、この通りを通るときはいつでも感無量となるのである。

墓参りを終えた私が次に向かったのは巻石(石巻の語源となった石)のある住吉公園である。ここにゆかりのあるのは祖父母にとどまらない。父や叔父、叔母も何度も訪れたことだろう。

叔母以外が故人となったのは残念なことだが、先人の生きた時代の断片に少しでも触れ、己の感性との一体化を試みる。その訳はポルトガル国歌でいうところの「追憶の霧の彼方」のシチュエーションを己の心の奥底に深く刻みたい所以である。

同じアングルから撮られた昭和初期の写真(泰弘さん提供)をご覧頂きたい。
背景の建物は大きく変わったが巻石だけは変わらない。
幼少期に何度も足を運んだ公園で、私は我が原点とも言える巻石に深く感謝して此の地を離れた。

次に実家のあった千石町に向かった。私が此の地に生を受けた往時、ここは横町(主要な通りと横に交わる通りという意味で)と呼ばれていた。だから千石町よりも横町と言ったほうがピンと来る。3年5ヶ月前に津波に襲われたこのビルだが、今は「横街ビル」と名を変えすっかり復興していた。

町と街との違いはあれ、極めてインパクトの強いビルネームには命名者への深い感銘(共感に極めて近い感情)を感ぜずにはいられないものがあった。

最後に腹ごしらえに及んだ。B級グルメ「石巻やきそば」である。

港湾工事、新たな建物の新築、古い建物の復旧工事…幸いなことに故郷石巻には強い治癒力があった。私は感謝しても感謝し尽くせない先祖、そして母なる石巻に改めて畏敬の念を抱き帰路に着いた。
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