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ワーグナー タイホイザー行進曲
リンク曲タンホイザー行進曲:正式名称は大行進曲『歌の殿堂をたたえよう』解説

リヒャルト・ワーグナーの歌劇「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」で演奏される行進曲。歌劇の舞台は13世紀初頭、テューリンゲンのヴァルトブルク城。官能と快楽の世界に溺れた中世の騎士タンホイザーの波乱に満ちた人生を描いたとされる。
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きょうは暑い一日だった。来週いっぱい勤めれば長い盆休みである。きょうはそれに思いを馳せオンザロックを楽しみながら、この格調高い曲を聴いている。

私が長いものに巻かれる生き方を変えてからそろそろ三年になる。それは口髭を剃れ、剃らないという騒動が発端だった。たかが髭、されど髭、人によってはくだらないことにこだわる。馬鹿らしい…とお思いになるかたもお在りになろう。だが、これだけはどうしても合点がいかないことだった。

それは私が「情にほだされても流されない生き方」を貫こうとした所以である。私は今まで男気があっても今一歩踏み込めない御仁をいろいろと見てきた。或る知人は事務所のストーブをつける、つけないで経営者と揉め事を起こし自ら会社を去っていった。或る御仁は話すときの姿勢が着座しているか、起立しているかで揉め事に発展したケースもあった。結果は何れも使われているほうの負けだった。

但し、私はここに異議を唱えるのである。即ち、「あなたはもう一歩踏み込みが足らなかったのでないか?接近戦に持ち込みクリンチできなかったのか?」と。こうしたケースで言えるのは表面で労使があくまで対等であると認識していながら、心の奥底で引いてしまっている(萎縮してしまっている)ということである。現実として労使が対等であるには角が立つものである。但し角が立っても流されない生き方を貫くには己の身が晴天白日であるだけでは足らない。

私は以前からファイター(ボクシング用語:打ち合いを覚悟でフットワークをあまり使わず、常に前に出るスタンスを貫くボクシングスタイル)であると公言してきた。私はこのスタンスを貫くことでサラリーマンとしての生き残りを果たしてきた。私は髭を剃れと言われた時に「口髭は私にとって尊厳の象徴ゆえ、絶対に剃らない。」と宣言したのである。この時から既に覚悟は決まったのである。労使は対等であって封建時代の主従関係(殿様が一段高い席に座って家来が低いところに座るシチュエーション)とは異なる。竹の節に上下はあってもけして優位性を決めるものではない。これは多くの歴史もの、時代ものに接して得た私のスタンスでる。こうした武士道に基づく精神が今の私をずっと支えてきた。

但し、私は堅物(礼節、仁義を重視する姿勢)であってもけしてアイアンマンではない。13年前の今時分、私は或る人物から「貴殿はよほど自己尊厳が強いと見受けられる。」と言われたことがある。私は敢えてそれを否定しない。だが、時にはもらい泣きもする。人にとって必要な慈しみの気持ちだけは持ち合わせているつもりである。だから世間話をすると情にほだされるのである。私はこれからも己の心を開き、どんな人とも分け隔てなくコミニュケーションを取り、大いに情にほだされたいと思っている。
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