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 相馬野馬追開幕 
本日から相馬野馬追が開幕した。本日はこの野馬追の主力となるかたの紹介とともに宇多郷(相馬中村地区)出陣式の模様をお伝えしたい。このかたが今年の総大将を務める相馬行胤(みちたね)公(第33代相馬家当主相馬和胤公嫡男)である。当主ご嫡男の参加は4年ぶりとのことである。

※記事は昨日の福島民報より拝借

このかたは15年連続で副大将を務める北郷(鹿島地区)の海老原永明氏である。
海老原副大将は本日すぐ近くで写真を撮らせて頂いたが、副大将らしく遺風堂々としており度胸の座ったおかたとお見受けした。

軍師と務める中島三喜氏はいかにも切れ味鋭く、且つ老獪で肝の座ったおかたとお見受けした。気合だけでなく人望も厚いという気がした。

野馬追には全部で五つの郷(地区という概念)がある。
宇多郷(相馬地区)は総大将が兼任し、北郷(鹿島地区)は副大将が兼任するので残りは三つの郷(中ノ郷:原ノ町地区、小高郷:小高地区、標葉郷:浪江・双葉地区)にはそれぞれ郷大将がいる。軍隊で言えば高級将校クラスといったところであろうか。

郷大将の下には侍大将がつく。軍隊であれば将校クラス(大佐~少佐)といったところと推測する。

男女機会均等となった現在では女性も参加している450騎のうち、ざっと見て数十は女性や子供といった感じである。女性が参加すると祭りに花を添える感じで非常にいい。男臭いイメージのある相馬野馬追に何か新風を吹き込んでいる感じであり、新鮮さを感じた。

亘理から相馬に向かうJR代行バスの中で老紳士のSさんに出会った。Sさんは仙台在住のかたで土地勘がないということで、本日は鹿島(北郷)までの行程をご一緒することにした。Sさんには昼食までご馳走になってしまい、誌面を借りて厚く御礼申し上げる次第である。

さて、出陣式の行われる中村神社ぬ向かう途中で妙見様(相馬家では古くから信仰のあった北斗七星を祀った神社)に本日の武勲成就と無事なる帰還を祈願する武者たちの敬虔さには何か胸を打たれるものを感じた。Sさんも夢中でシャッターを押していた。

中村神社の境内に入ると既に大観衆で埋まっていた。雨上がりの湿気と大観衆の熱気が一体となり汗拭きタオルや扇子、団扇なしでは居られないほどであった。

総大将、相馬行胤公(九曜紋の入った箱の左のおかた)とその左隣は昨年の総大将を務めた相馬陽胤(きよたね)公(次男)である。来賓も揃い緊張感が一気に高まる。私は今日、この瞬間を見に来たといっても言い過ぎでない。

それは単なる合戦や競争としての勇壮さ漂う野馬追だけでなく、儀式としての野馬追に強く興味を引かれるからである。例えば武士にとって評定や宴での席次は大きな意味を持つ。武士は名誉とともに生きなければならない。ゆえに自分の席次を他人に奪われ、果し合いまで発展したケースはいくらでもある。

それだけ武家社会は縦の序列が厳しいのである。また「承知!」「如何にも」「御意!」「待たれい!」など、特有の侍言葉には彼らのプライドを感じることができる。このあたりの言葉のやり取り(己の器量の大きさを相手に示すのも武士道のうち)も大きな見処の一つである。

固めの盃を交わす武者諸侯。合戦の前に固めの盃を交わすのも武家社会特有のものである。そういう意味で身の引き締まる思いを感じた。

これは珍しく「一」の旗差しものが三つ揃った(一のゾロ目)瞬間である。騎馬隊は馬場で配列を整えてから出発に至る。

経験の少ない人馬はなにかと大変である。人が落ち着かなければ馬も興奮するのである。なかなか馬と息が合わず配列が組めず、軍者からは「総大将をいつまで待たせるのか!」という怒号が飛んだ。経験の少ない御仁には気の毒な気もしたが、私はこれも武家社会ならではの厳しい慣わしと受け取った。

配列が整い、ついに総大将出陣となった。中村城の大手門を出る直前の相馬行胤公である。総大将らしく威厳に満ちた振る舞いに群衆は惜しみない拍手を送っていた。

次回は副大将率いる北郷に於ける総大将お迎えの模様をお伝えしたい。
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