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 島育ち/田畑義夫(若い頃のステージ) 

リンク曲について
毎年寒くなると、あの時の思い出が甦ってくる。あれは16年前のことだった。一月半ばの厳寒期を迎えた頃、仕事で奄美大島出張を命ぜられたのである。苦しいことが圧倒的多かった現役時代、奄美大島出張は数少ない、夢のような思い出である。
奄美大島は鹿児島から350キロ、沖縄よりは北だが、文字通り「南国の楽園」である。

奄美大島と聞いて真っ先に思い当たる曲が田端義夫の「島育ち」である。この島ははっきり言って秘境である。なぜ秘境なのか?それは記事と画像をご覧願いたい。
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今宵は2003年1月18日に奄美で拾った石を肴に週初めの美酒に酔っている。こんなに丸い石(実際は楕円)を見たのは生まれて初めてだった。



石を拾った場所はホノホシ海岸である。アイヌ語にゆかりのある地名はカタカナのものが多いが、ホノホシ海岸はアイヌの土地とは対照的に日本の南の端にある。辺境と言ったら現地のかたに失礼かも知れないが、このカタカナの地名こそが、秘境を連想させるに十分なものがある。



ホノホシ海岸は外海に面している。太平洋の荒波が絶え間なく押し寄せるスポットである。ちなみにこの石を拾った1月18日の最高気温は22・4度であった。寝るときはシャツ一枚で十分であった。この日の仙台との気温差は何と13度以上になる。




 奄美大島 ホノホシ海岸 
幸運にも、私は仕事で奄美大島に出張するということに遭遇した。本日リンクした動画はホノホシ海岸の様子である。動画を見て気付いたかたもおられると思うが、この海岸は玉石だけの海岸である。珊瑚礁で囲まれた砂浜の多い奄美大島の海岸で、何故ホノホシ海岸がこうなったのかはわからない。本日は私のつけた当時の日記を掲載し16年前を振り返ってみたい。
黄色:三週間近くに渡って宿泊した名瀬市(現奄美市)
赤:2003年1月18日訪れたホノホシ海岸



2003年1月18日の日記
ホノホシ海岸は直径5cm~10cmほどの丸い石だけの非常に珍しい海岸である。駐車場から浜に向かう途中カメラを持った人にすれ違った以外は1時間ほど誰にも会わなかった。(普通の観光地ではとても考えられない)この日は前日にも増して1月とは思えない南国特有の強い日差しで、気温は22・4度まで上がった。薄いジャンバーでも汗ばむほどであった。

奄美大島には島時間という言葉がある(本土での一時間が倍の時間くらいに感じられる)が、ホノホシ海岸では、内地とはまったく違った濃密で、且つ至福の時間が過ぎていった。
ホノホシ海岸の丸い石は面白い音をかもし出し、秘境に吸い込まれようとしていた私を更に魅了した。(この音を例えればヒュヒュヒュヒュヒュ…ヒューンというような音である)

それにしても本土とは空と海の蒼さが全く違う。南国の日差し、澄んだ海の成せる技なのだろう。この爽快感、開放感は例えようがない。童心に帰って時間も忘れて、できるだけ丸い石を拾い集めることに専念した。(ようし、お土産に持ち帰ってやろう)…丸くて平べったい石を拾う。



山川さら著、㈱星雲社「ムンユスイ」より引用

外海である太平洋の荒波が岩を削り、石を転がす 
 
そそりたつ岩に挟まれた海岸に 波音は唸りのように反響し
 
引き波とともにさらわれる玉石がぶつかりあい
 
地中に吸い込まれていく泡が音をたてる
 
目を閉じれば地球というコンサートホールに拍手の嵐が渦を巻く
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本日の晩酌



横町挨拶
奄美大島には三週間弱の滞在でした。仕事で訪れなければ奄美大島に行く機会は恐らく一生なかったことでしょう。短期間の出張でしたが、その後の私の人生に与えた影響は多大なものがございました。厳寒期であっても仙台とは気温が10度以上も違う奄美大島。これは沖縄ほどでないにしても、東北人から見れば冬がないのも同然です。

その後仕事で様々なところに出張しましたが、奄美大島出張を凌ぐような場所はありませんでした。東北北部の厳寒期の寒さは身に堪えますが、この島に行きさえすれば、例え真冬であっても楽園が待っている。いつしか私の脳裏にはそのような考えが根付き、この年の奄美大島訪問が辛い冬を乗り切るための特効薬となっていったのです。

定年退職を果たしてセカンドライフを歩む私ですが、未だに冬場になると「あの日をもう一度」と考えるのです。再訪の夢が叶うかどうかはわかりませんが、夢にまで見たその日が来るのを信じて今冬も頑張りたい所存です。本日も最後までご覧頂きありがとうございました。


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